2011(平成23)年 10   


「食べねば死ぬ」これは、私たちにとって本当に重要な、緊急の問題です。ところが私たちは、同時に「食べても死ぬ」という永遠の課題が突きつけられていることを忘れがちに生きているのではないでしょうか。
  親鸞聖人という方は、永遠の課題を大切にされた方ですが、緊急の課題をおろそかにされた方ではありません。緊急の課題に振り回されながら生きていかざるをえない人々の中に自分の姿を見出し、共に救われていく世界を教えて下さった方なのです。
  
  近頃は、永遠の課題にまともに向き合おうともせず、「どうせ人間死ぬんだから、好きなことをする。」「自分のやりたいことする。」という考えの方が多いのではないでしょうか。しかし、この「死んだら終わり」という死後観が、自分勝手で、目の前のことしか見えない生き方を生み出しているのかもしれません。


  お念仏をいただくものは、往生浄土への人生をいただくのだと教えられます。往生とは、ただ死んでいくことではありません。『往きて生まれる』という意味です。つまり、死の向こうに、阿弥陀如来のお浄土に『往き生まれる』人生が開かれるのだということです。
  こんなことを言うと、「科学的ではない」とか「子どもでも信じない」とバカにされるような時代になりましたが、私たちの先輩方は、その信じがたいような話(難信の法)にうなずくことで、

「また、お浄土で会える。だから、お浄土の母ちゃんが泣くような生き方はできない」、
「アイツは大嫌いだけど、お浄土で仏様として出遇い直させてもらうんだから、そんなにヒドイことはできない」、

「またお浄土で会う子や孫に、おかしな社会は残せない」
といった、時間的にも空間的にも広がりのある生き方をいただかれたのです。


 あなたは、永遠の課題にどう向き合いますか?「どうせ死ぬんだから、好きなことを」と安易に考えるのか、「死の先には、阿弥陀如来のお浄土に『往き生まれる』人生が開かれる」と向き合うのか。そこから見える世界は、大きく違ってくるはずです。