2012(平成24)年   



この言葉は、倫理学者で広島大学名誉教授の白井成充博士が、東大生であった息子さんを亡くされ、深い悲しみに沈んでおられたときに作られた歌だそうです。

 お釈迦様は、人生とは、思いもよらない悲しみが襲いかかってくるものであり、それは誰も避けることはできないのだと教えられました。とは言っても、人間そう簡単には割り切ることはできません。それに、白井博士の悲しみの深さに、私が安易に「共感できる」などと、言えるはずもありません。
 しかし、私の想像を超えた悲しみの中で、それでも生きていこうとされる博士の姿が伝わってくる歌です。その博士を支えたのは、阿弥陀如来の心でした。阿弥陀如来は、悲しみを避けることができない私たちを、深く慈しむ中で「また会える世界」、浄きみ国(浄土)を用意して下さっていたのだと。


 また会える世界があるというのは、本当に素敵なことですね。また会える世界があるからこそ、「あの人が悲しむような、生き方はできない。」「今度会ったときには素敵な思い出がたくさん話せるような人生を歩んでいこう。」「お浄土では、すれ違いも仲違いのない、仏様として出遇い直すことができる。」と、ぬくもりの中で、亡き人と共に生きることができるのですから。
 死んだら終わりの人生は、切なく、寂しいだけの人生です。


 悲しみの真ん中で白井博士は、「この私のためにこそ、浄土は建てられたのだ」と、阿弥陀如来の大慈悲心の真ん中にいたことに気づかれたのでしょう。そのぬくもりの中で、生きる力をいただかれたのでした。
 そして、私たちも同じく、等しく、そのぬくもりに包まれているのだと、教えられるのです。深く、味わいたいものです。