2013(平成25)年11月   



こんな話を聞いたことがありませんか?ある猿が、金平糖が入っているつぼを見つけました。猿はさっそくツボに手を突っ込み、中の金平糖をとろうとします。ところがツボの口が小さかったので、握りしめたコブシがつっかえて、手が抜けなくなってしまいました。手を開けば抜けるのに、金平糖に執着するあまり開くことができません。あわてふためく猿。では、考えてみて下さい。そんな猿を、どう思いますか?私は、笑うことはできませんでした。お金や、モノや、資格、そしてつまらないプライドという思いに執着し、握り締め、手放せずに苦しんでいる。そんな自分の生き方を指摘されたようで、ドキッとさせられたのです。


 私たちが生きている現代社会には、様々な欲望が渦巻いています。そんな時代に、自分を見失わないで生きるということは、大変難しいことです。自分がお金を使っているうちはよいのですが、気がつけば、お金に執着する中で、自分がこき使われているのではないかと思うことがありませんか?欲望に、自分がこき使われているのではないかと、思うことはありませんか?執着し、握りしめることで、モノは豊かになりましたが、心は縛りつけられ、貧しくなっているようです。

 

 近頃は、仏教的な作法に「縛られず、自分らしく」という人が増えてきたようです。しかし、肝心の「自分」が欲望に縛られているのであれば、その「自分らしさ」って何なのでしょう。作法には「縛られる」と言いますが、「自分の思いに縛られている」という発想にはならないのでしょうか。

実は、仏教的な作法には、握りしめたコブシを開かせる働きが込められているのです。例えば、「お布施」。相愛大学教授の釈徹宗さんは、布施とは、手を離すトレーニングだと言われています。そして日頃からトレーニングをしておかないと、いざというときに手を離すことができなくなって、金平糖の猿のように、どうしようもない状態で縛りつけられ、苦悩することになるのだと指摘されるのです。

 

以前、若い僧侶の研修会で、ある先生からこんなことを教えられました。理想に燃える若い世代、しかもお坊さんですから、きれいごとに流されがちです。そんな私たちに、「君たちは、お金を汚いもののように思ってはいないか。お金は、大事だよ。私たちは、お金によってどれだけの恩恵を受けているか。それを忘れてはいけない。」と水を差され、そしてこう続けられたのです。

「お金は大事だよ。でもそれは、いのちを大切にするために大事なのであって、近頃はお金を大切にするために、いのちを粗末にしている。」と。何のために大事なのかを考えないと、縛りつけられ、自分を見失ってしまうのだと教えられたのです。ちょうど同じ頃、ある保険会社のコマーシャルで、「よーく考えよう。お金は大事だよ。」と歌われていましたが、それを聞くたびに、いつも先生の言葉が思い出されたことでした。■