2013(平成25)年2   

 

臨床心理学者、故・河合隼雄さんは、よく「臨床心理学を専門にしていると、他人の心がわかるのではないか」と言われていたそうです。ところが河合さんは、心理学の本当の専門家の特徴とは、「人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っている」ことだと指摘されています。
  例えば、「札つきの非行少年」が連れてこられる際、専門家には少年の心を分析して、非行の原因を明らかにし、対策を考えだすことを期待されるのですが、そういうことはしないのだそうです。少年に対して「悪い子」だと決めてかからない。原因は親だと決めてかからない。「簡単には決めつけられたものではない」という態度で接していくと、思いもよらなかったことが起こったりもすると言われるのです。


  「わかった」と思って決めつけてしまうほうが、よほど楽なのである。この子の問題は母親が原因だとか、札つきの非行少年だから更生不可能だ、などと決めてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけでものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。こんなことのために「心理学」が使われてばかり居ると、まったくたまったものではない。

(『こころの処方箋』 河合隼雄)




 私たちはありのままを見ようとせず、「わかった」と決めつけて安心するために、知恵や知識を使おうとしているのではないでしょうか。仏教では、迷いを無明の闇と表します。暗闇の中で行き先もわからず迷っている姿をイメージしがちですが、そうではありません。本当の深い闇とは、「わかっている」という思いです。「わかっている」から、迷っていることにさえ気づかない。自分を振り返ることもない。そんな有り方を、闇という言葉であらわされているのです。


  私の大好きなロックバンド、サンボマスターの『手紙』という歌には、このような一節があります。


  いつもこの僕はあなたの事を 好きだという 好きだという一言で 片付けて
  本当の あなたの意味を あなたの意味を・・・俺はちっとも知ろうとしなかったんだよ!

(『手紙〜来たるべき音楽として』 作詞:山口隆)



仏様の智慧を「如実知見」(事実をありのままに、正しく見極めること)と言われます。その智慧の眼に照らし出されるとき、人を決めつけて安心している私の姿に気付かされるのです。
 だからといって、「嫌なヤツだ」と決めつけたあの人を許せるような、立派な人にはなれません。なれはしないのですが、自分の思いが暴走するブレーキにはなっています。そして、「簡単には決めつけられたものではないぞ」という態度から、思いもよらなかった一面にも出遇えるかもしれません。それは、当たり前のように側にいる人の、有り難さを知らされることにも通じることでしょう。

  この私を照らし出し、目覚めさせ、本当のよろこびや尊さを教えて下さるのが、仏様の智慧の眼なのだと教えられます。その眼と出遇うことが、私の人生をより深く、豊かにして下さるのです。