2014(平成26)年12月   




人間である限り、競争はつきものです。勝つ者もいれば、負ける者もいます。しかし、多くはいずれ敗者になり、勝ち続けられる者は一握り。その勝ち続けた人もやがて死という現実が突きつけられ、それまで得たものをすべて失うのです。人生を勝ち負けだけで量ろうとすれば、人は皆敗者になってしまいます。


 かつて、ある小学校の運動会で勝ち負けを無くそうと、全員手をつないで走らせ「みんな一等賞!」にしたことが、話題となりました。近頃はそんな話を聞きませんから、評判も悪く、すぐに取りやめになったのでしょう。

 人間である限り、競争から抜け出すことはできません。何より、勝つことで得ることもありますし、負けることで失うこともあるでしょう。
 しかし逆に、勝つことで見失うこともありますし、負けることで気づかされることもあるのです。
 実は、勝ち負けがすべてではなく、そこから何を学ぶのか、何に気づかされ、深められ、どんな世界が広がっていくのか。それが人生を豊かにし、尊くもしていくのではないでしょうか。



 仏教では、「人生は苦である」と言います。それは、「不如意」思い通りにならないからです。生きていくとは、思い通りにならないことの連続です。しかし実は、思い通りにしたいという私の「思い」こそが、「苦」の原因であり、その「思い」をゆるめたり、ずらしたりする中で、世界の見え方は大きく変わるのだと教えられるのです。


 人生では、「老いる」ことも、「病む」ことも、「死ぬ」ことも、思い通りになりません。しかし、何より一番思い通りにならないことは、「生まれる」ことではないでしょうか。「あんな環境に生まれたかった」「あんな才能が欲しかった」「こんなことなら、生まれてこなければ良かった」それぞれに、いろんな思いを抱えておられることでしょう。しかし厳しいことではありますが、私の人生は「誰にも代わってはもらえない」のです。ならば、この人生を「誰にも代わってもらわなくてもいい、かけがえのない人生」にしていかなければならないのが、私たちの務めだと言えるでしょう。

 お釈迦様は、カーストという差別構造が強く根付いた時代の中で、こう言われています。


 生まれによってバラモンなのではない
 生まれによって非バラモンなのではない
 行為によってバラモンなのである
 行為によって非バラモンなのである 
 『スッパニパータ』

 自分の人生を決めるのは、自分の生き方であると。尊くも、卑しくもするのは、私自身の行いなのだと。それは、誰に勝ったとか、負けたとか、そんなことではないのでしょう。できたか、できなかったか。そんなことでもないのでしょう。
 どう生きようとしたのかという、生きる態度が問われるのだと教えられるのです。勝ち負けだけで、決まるのではありません。

 人生は、そんな卑しいものではないのです。■