2014(平成26)年2月   

 高橋泥舟の言葉
         (勝海舟、義弟の山岡鉄舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれた槍の名手。
槍一筋、節義一筋の生き方が、賞賛された。)




 雪の深い山では、風が一方方向に吹く尾根などに、雪庇(せっぴ)とよばれる雪の塊ができるそうです。それは屋根の庇(ひさし)のように突き出すのですが、下は空洞ですから上に人が乗ると、そのまま崩れ落ちてしまうので大変危険です。

雪山では沢も雪に覆われますが、その下は水が流れています。これをスノーブリッジというそうで、知らずに上を歩くと川に落ち込み、救出はかなり困難だとも言われます。

雪山では、尾根や沢は本当に危険です。しかし、もっと危険なことは、その怖ろしさに無頓着でいることであり、道を見失っていることに無自覚なことではないでしょうか。


 私たちの生きている現代社会は、消費の拡大が好景気を生み、生活に潤いをもたらすのだと主張されます。欲を持つことは、向上心を生むのだとも言われます。しかし、どんなに力強く歩むことができても、どこに向かって生きているのか、自分がどこを歩んでいるのかという「道」を見失ってしまうならば、人生の雪庇やスノーブリッジに落ち込んでしまうことにもなりかねません。

 以前、ある幼稚園の「強く、明るく、元気な子を育てる」という目標を見て、「強く人をいじめる。明るく人を傷つける。元気に人を殺す。」そんな子に育ってもらっては困ると言われた方がありましたが、その言葉のままの光景が、現実に起こっているように思うのは、私だけではないはずです。歩む力を育てても、進むべき道を見失う怖ろしさを感じます。


 雪に覆われた山では、経験を積まれた方の先導が頼りです。欲に覆われた現代社会でも、欲望と深く向き合う中で、進むべき道を見出された方の導きが頼りになることでしょう。
 親鸞聖人とは、これでもかと自分の中の欲望と向き合われ、そこからお念仏の道と出遇われた方でした。その道が、長い歴史を通して私たちのところにまで届けられているのです。見失わぬようにしなくてはなりません。■