2015(平成27)年10月   




 以前、お寺の子ども会で、こんな話をしました。まず、木の絵を描きます。
「木が樹っています。木には根っこがあるよね。根っこがなくなったら、どうなる?」


                           


「倒れる」「木が枯れる」と、子どもたちは言いました。
「そうだね。倒れるね。枯れるよね。根っこがあるから、木は育ち、樹っているのです。でも、根っこは目には見えません。」
すると、一人の子が言ったのです。「掘ったら、見えるよ。」と。いやはや、凄いことを言ってくれると驚きました。うれしくなり、私はこう言ったのです。

「そうだね。掘ったら見えるよね。実はね、私たちにも根っこがあるんです。根っこがあるから、生きていける。育てられる。でも、その根っこは目には見えません。どうしたら見えると思う?それはね、掘ったら見えるんです。では、どこを掘ればいいでしょう?それは・・・・、心です。心を掘ったら見えるんです。」

 私たちは目には見えないけれども、いろんな関わりの中で支えられ、生かされています。仏教ではそれを縁起と言います。しかし、現代社会に生きる私たちは、それを薄っぺらにしか受け止めることができなくなり、心を掘り下げることもなく、自分の根っこを見失うような生き方をしてはいないでしょうか。


今の時代はお金さえ出せば、いろんなサービスを受けられるようになり、自分一人でも生きていけると勘違いする人が出てくる時代となりました。しかしこのシステムも、私が作ったものではありません。いろんな歴史の中で、いろんなはたらきの中で、ようやく私たちが恩恵を受けることができたものなのです。そんなことは、少し深く考えれば、誰でもわかりそうなものですが、目先の損得ばかりを追いかける薄っぺらい時代では、なかなか見えづらくなっているということなのでしょうか。

「お陰さま」とは、目には見えない部分である「陰」に、わざわざ丁寧に「お」と「さま」をつけた言葉です。私たちの先輩方は、心を深く掘り下げることで、目には見えないけれどもこの私を支え、生かし、育てて下さる根っこの世界と出遇い、「お陰さま」と大切にされたのです。それは同時に、心を耕し、心を豊かにする営みでもありました。

中でも親鸞聖人は、より深く心を掘り下げていかれる中で、この私のいのちそのままが底の底から阿弥陀様に支えられてあったという豊穣な世界と出遇われたのです。その阿弥陀様のはたらきを、本願他力というのです。