2015(平成27)年12月   



近頃、「胸に手を当てて考える」という言葉を聞きません。自分を振り返ることもなく人を責め、なじり、爽快感を得るふるまいが、テレビをはじめ日常生活にも広がっていないでしょうか。胸に手を当てると、前に進むことができません。一度立ち止まる。そして自分の生き方を振り返り、深く見つめた上で、それでも出てくる言葉には重みがありますが、それ抜きの言葉がいかに軽々しいものか。近頃はネットやスマホが発達して、自分の意見をすぐに発信できる時代になりましたが、一度も胸に手を当てることなく発せられた言葉が、殺伐な世の中を作り上げています。私自身胸に手を当てることを忘れてはならないと、考えさせられるところです。

 

あるお母さんが、息子がテストであまりにも酷い点数をとってきたものですから、頭を抱えて、こう言ったそうです。

「あなた、ちゃんと友達は選びなさい。バカな子と遊んでいたら、バカになるのよ。成績のいい子と遊びなさい。」

すると彼は、「わかったよ。じゃあ、これからは頭のいいヤツと遊ぶことにするよ。」と答えました。
 それからしばらくして、次のテストの結果がでたのですが、またヒドい点数をとってきたのです。お母さんは頭を抱えて、

「この前ちゃんと言ったでしょ!バカな子とばかり遊ぶから、こんな点数ばかりとってくるのよ。ちゃんと友達は選びなさい。」

そしたら息子は、こう言いました。
「いやぁ、お母さんの言った通りだよ。実はあれから、成績のいいヤツと遊ぶようになったんだ。そしたら、今回そいつの点数が、思い切り下がったんだよ。バカと遊ぶとバカになるって、本当だね。」

一番問題なのは、実は自分の息子だったというオチなのですが・・・、でも、自分がこんな不快な状況にいるのはすべて周りのせいだと、胸に手を当てて考えることもなく周りを攻撃するのは、モンスターペアレンツやクレーマーと言われる人たちだけではなく、マスコミの在り方も含めて、現代社会に生きる私たちの生活に深く根付いているように思えます。私たちは、服装やお化粧には気を配りますが、どんな生き方を晒しているのかには、どけだけ気をつけているでしょうか。


 近頃は、「他力本願」という言葉の意味を、人まかせ、無責任な態度をあらわすもののように受け止めることが一般的になっています。「他力はダメだ。自力でないと。」と言われるように。では自分が、自身の力だけで行っていることがどれだけあるのか、胸に手を当てて考えてみていますか。

 様々なはたらきの中で生かされて、今の私の人生があるのです。そのはたらきを深く味わう態度を「他力」の生活というのでしょう。
 そして親鸞聖人は、底の底からこの私を丸ごと支えて下さる阿弥陀様の願い(本願)の世界があることを示されたのです。


 そんな世界と出遇った人が語る「他力本願」という言葉の豊かさは、胸に手を当てたことがない人には到底わかるはずもありません。