2015(平成27)年9月   





 『YOUは何しに日本へ』というTV番組があります。空港で、日本にやって来たばかりの外国人に声をかけ「何を目的に来たのか」「何に興味があるのか」を聞き、同行取材していく番組です。日本の魅力に驚き興奮する外国の人たちから、私たちが当たり前のようにして見落としている日本文化の素晴らしさを、改めて教えられます。

 極楽寺も昨年、台湾から大学生をホームステイで引き受けました。地元を案内していると、「ビューティフル!」と喜び興奮したのが日本家屋です。私たちからすれば、どこにでもある当たり前の風景に感動していたのが印象に残りました。
 やはり、外からの目は大切ですね。内側にいるからこそ見えないことがあり、素晴らしさに気づけないものがある。それを外からの目によって気づかされなかったら、私たちは大切なものを粗末にし、安易に捨ててしまうのでしょう。

 これは、例えばいじめの問題にも通じます。学校という閉ざされた空間の中で、いつしか「あいつは虐めても構わない」という空気が熟成され、異常が当たり前となり正常へと変わっていく。内側にいることで、異常に気づけなくなる。外からの目というものがなければ、私たちは空気に流され、大切ないのちを粗末にしてしまうのです。ただし、その外からの目というのも曲者で、「これが世界のスタンダードだ」という言葉で、大切なことを根こそぎ踏みにじることもありますから、どこからの目を意識するのかが重要なのですが。 

 さて、今月の言葉はコピーライターの仲畑貴志氏が、映画『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督1983年公開)の宣伝用に作られた、コピー史に残る傑作です。この映画は、若かりしビートたけし(今や世界的な映画監督になりました)や坂本龍一(この方も、世界的な音楽家となりました)、そしてかのデビット・ボウイが出演する名作。今観ても、たけし氏の存在感は圧倒的です。

 太平洋戦争中の日本軍捕虜収容所での異常な状況を、正常として過ごす人々が描かれます。戦争とは、閉ざされた空間や価値観の中で、まさしく異常な日々を正常に変えてしまい、その異常さに気づけなくさせるのでしょう。そんな中に生まれる日本兵と捕虜の心の触れ合いが描かれるのですが、閉ざされた空間ではそれが罪となり、異常な行動とされるのです。あまりにも有名なラストシーン、ハラ軍曹(たけし)の「メリークリスマス!ミスターローレンス!」という叫びは、そんな触れ合いこそが人間として正常な行いなのだという思いが込められているように聞こえました。




 現在公開中の映画『野火』も、まさしく異常が正常となる狂気を教えてくれる映画です。大岡昇平原作の小説を、塚本晋也監督・主演によって作られたこの映画。長年、撮りたいと念願していた塚本監督は、せめて話だけでも聞かなくてはと戦場に行かれた人たちのインタビューを始めます。そして、実際に戦場の痛みを知る人が少なくなり、また現在の時代状況を鑑みて、「今撮らなければ、もう撮ることができなくなる」と資金をかき集め、自主映画という形で実現させました。いやはや、凄い映画です。名匠市川崑監督も映画化しており(1959年公開)、これもまた素晴しい作品なのですが、塚本作品の方がジメジメ感や不快度が高く、最下層の兵士が巻き込まれる戦争の悲惨さ、そして人間の醜さがより伝わるように私は感じました。
 そこには、大義名分や美しさなど一欠けらもありません。ただ、極限の人間の生き様があるのみ。私たちの目から見た異常な状況が、あの地では日常になっていたのでしょう。いや、そうしてさせてしまったのは、一体何なのか。何より、こんな映画を「今撮らなければ」と塚本監督に思わせてしまう今の時代状況って、正常なのでしょうか。異常なのでしょうか。

※ 女優の常盤貴子さんが、主演映画の舞台挨拶にもかかわらず「塚本晋也監督の『野火』という映画を観たんですけど、今、よくぞ撮ってくださったっていう素晴しい映画。みなさんぜひご覧になってください」と、自分の作品そっちのけで宣伝されたことが話題になりました。「今、よくぞ」という言葉に、常盤さんの想いが込められているように思えたのは、私だけでしょうか。

 


『野火』 2014年 原作:大岡昇平 監督・主演:塚本晋也 


 仏様の目とは、私たち
人間の煩悩を離れた目、つまり私たちの外側の目だと言えるでしょう。私たちの先輩方は、「阿弥陀様は、どう思われるだろうか」と、阿弥陀様と相談しながら、阿弥陀様の目を意識しながら人生を歩まれました。とはいっても人間ですから、誰も仏様の本当の心はわかりません。しかし、立ち止まり、自分を振り返り、違う角度からものを考えていくからこそ、豊かなものの見方が育てられていくのです。阿弥陀様の別のお名前を「施眼」(眼を施す)と言われるは、そんなはたらきからなのでしょう。そこに、異常を正常にしている迷いの姿が明らかにされていくのだと教えられるのです。

 迷いの中にあることに気づかなければ、道を求めようとも思いません。異常を正常だと思い込み、人を傷つけ、自分を貶めてもわからない。実は、自分の迷いの深さに気づいたときには、既に阿弥陀様のはたらきの深さに気づいているということでもあるのです。大切に味わいたいものです。■

 

※ この『野火』という映画については、「所詮、映画や小説なんて作りものじゃないか」「単なる創作だ」と言われる方もあるやもしれません。近頃は、そんなことを言われかねない時代ですから。しかし、物語だからこそ伝わる真実というものがあるのです。何より、この小説が出版されたのが1951(昭和26)。しかも3読売文学賞・小説賞を受賞し、戦争文学の代表作と評価されてもいます。実際に戦争に行かれた方々にとって、まだ記憶が生々しく残る中でこの作品が受け入れられたことは、大きな説得力を持つはずです。