2017(平成29)年12月   


 とても印象に残ったコマーシャルがあります。
 自動販売機の前に、横並びの二つのベンチ。端っこに営業マンが座っていて、反対側の端っこには鳶職人が座り、それぞれに缶コーヒーを飲んでいます。
営業マンが、心の中で呟きます。「鳶かぁ。いいよなぁ。ストレス無さそうで。」
鳶職人が、心の中で呟きます。「営業かぁ。いいよなぁ。楽そうで。」
すると営業マンが、「しかし、まぁ。もし、オレが鳶職だったら・・・、いやぁ、ムリ無理。」
鳶職人も、「もし、オレが営業だったら・・・、いやオレはできねぇわ。」
二人は相手を見ながら、心の中で呟きます。
「あんた、偉いな。」
「お疲れ!」
「誰だか知らねぇけど」
そしてラストは、飲んだ後の缶を捨てる時に、「どうぞ」「どうぞ」と、譲り合う。いつしか相手に対して、優しくなっている。こんな缶コーヒーのコマーシャルです。

 相手に対し、「いいよなぁ。」と比べ始めた時は、お互い敵意のようなものさえ感じていた。それが、自分を相手の立場に置いて考えた時に、それが敬いの気持ちに変わり、思いやるようになり、いつしか優しい自分になっていた。

 誰かと自分を比べたときに、妬み、嫉み、劣等感は起こります。そこで止まってしまったら、一日中嫌な気持ちで過ごさなくてはなりません。逆に相手を敬う気持ちになることで、気持ちの良い一日が始まるのだとしたら、まさに「比べるところから不幸は始まる」と言えるでしょう。


 私たちは、妬み嫉みだけではなく、自分より、不幸な人を見つけて安心する心理も持っています。「あの人よりも、マシだから」と、上から下に、見下すことで優越感を感じて安心する。これを「下方比較」というそうです。そんな優越感は、劣等感の裏返しでしかありません。いつ見下されるかとビクビクしながら、見下せる誰かを探して一喜一憂している。これは心寂しい生き方です。

 しかし、「私もつらいけれど、あの人はもっと苦しい人生を精一杯生きられている。勇気をもらった。私も頑張ろう。」という考え方は、似ているようですが「下方比較」とは全く違います。なぜならこれは、蔑みではありません。自らを振り返り、自分の恥ずかしさも受け止めている。まさに、コマーシャルの「あんた、偉いな。」という台詞のように、敬いの心が込められています。

 私たちは、苦しみ、悲しみに出遇うとき、「誰も理解してくれない」「もうダメだ」という思いに閉ざされてしまいます。そんな時に、「形は違えど、同じような問題を抱えながら、もっと深く人生を生き抜かれた方があるよ」と、励まし、導いて下さる出遇いがあるかどうかで、人生は全く違ったものになるのではないでしょうか。私たちの先輩方は、親鸞聖人の後姿にその出遇いを感じとり、「あ、そうか。聖人はすでに私の前を歩いて下さっていたのだ」と導かれ、勇気をいただきながら、精一杯人生を歩まれたのです。


 TVで大人気のタレント・武井壮さんは、陸上十種競技の元日本チャンピオンです。彼が、ヨーロッパの大会で優勝した時のこと。表彰式後、こんなスピーチをしました。
「日本でいつも試合の前に食べているパンがなく、固いパンしかなかったから、しんどかった。いつも飲んでいるドリンクがなくて、試合運びが大変だった。そんな中で、勝てて最高です。」
すると、同じ競技に出場した、一人の選手が近づいてきたのです。
「おめでとう。お前は身体も小さいのに、オレたちに勝った最高のアスリートだ。今日お前は最強だった。でも・・・、お前は俺たちの中で一番弱い。」
「何だ、コイツ」と武井さんが思っていると、彼は一枚の写真を見せてくれました。そこには、車いすに乗った少女が写っていたそうです。彼の母国は内戦で、悲惨な状況だったのです。
「オレの妹は、地雷で足を失った。だから買い物にも行けない。オレが買ってきたカチカチのパンを食べて、美味しいと最高の笑顔で喜んで食べてくれる。でも、お前は優勝したにも関わらず、パンが固かったなんて不満を言う。お前は競技者としては最強だけど、人間としてまだ最弱だと思うよ。」
これを聞いた武井さんは、涙がボロボロこぼれてきたそうです。とても恥ずかしかったと。そして、この出遇いが自分を大きく育ててくれたのだと。

 私は、写真の少女は素晴らしいと思います。しかし同時に武井壮さんにも素晴らしさを感じるのです。もし、そこで武井さんが劣等感を感じ、反発し、心を閉ざしていれば、大切な出遇いと感じることはできなかったでしょう。相手を敬う気持ちがあったからこそ、自分の恥ずかしさを受け止めることができたからこそ、武井さんはこの出遇いを生かすことができたのです。
 相手を敬う気持ちは、自分を導き、育てて下さるのです。妬み、嫉みや見下しでは、決して味わうことができない喜びがそこにはあるのだと教えられるのです。

  では、私はどんな生き方をしているのでしょうか。他人と比べて一喜一憂してはいないでしょうか。阿弥陀様の光に照らされながら、自分の足元を見つめなくてはならないと、考えさせられる毎日です。■