2017(平成29)年6月   



 

私たちは、毎朝鏡を見ます。そして、髪をセットし、お化粧し、着る服を選び、姿形を整えます。より美しく、見っともない姿になってはいないか、悩むこともありますし、人によってはお化粧に30分から1時間かけるという方もあるのだとか。

 しかし姿形は整えても、見っともない生き方を晒(さら)してはいないかと、自分の生き方を振り返ることをしているでしょうか。服装も、ヘアースタイルも、お化粧もバッチリだとしても、生き方そのものが見苦しいものであれば台無しです。

 例えば、「ネクタイが曲がっているよ」というくらいの指摘なら、「ありがとう」と素直に言えますが、「心が曲がっているよ」「根性が歪んでいるんじゃない?」と言われたら、とても素直に受け取ることはできません。とても傷つきます。でもそれが、自分が日頃晒(さら)している本当の姿なのだとしたら、そちらの方が恥ずかしいのでは・・・。

 ならば、髪かたちを気にするよりも、まずは心のすがたを見つめることの方が大切ではないでしょうか。



 善導大師という方は、「経教は、鏡の如し」と言われています。仏法とは、鏡のように、自らの生き方を見つめさせて下さる教えなのだと。手を合わせ、仏様の光に照らされながら、どんな生き方を晒しているかを見つめ、整えることは、人間が生きる上でとても大切な時間であるはずです。


 そうでもしなければ、見っともない生き方をしていても、気づくこともありません。これほど、恥ずかしいことはないでしょう。深く反省する、今日この頃です。■