2018(平成30)年9月   




 

 南無阿弥陀仏のお念仏を称えることは、「胸に手を当てる」ことに通じるのではないかと、私は考えています。近頃は、「胸に手を当てる」と言わなくなりました。胸に手を当て、我が身を振り返る。その営みを通した上で、それでも言わねばならない言葉には重みも深みもあります。しかし、胸に手を当てることのないままに、発せられる言葉は無責任です。薄っぺらく、軽く、人を簡単に傷つけます。そんな言葉がインターネットを中心に飛び交い、今やテレビだけではなく、責任ある立場の方々からも聞こえてくる。そんな時代になっているのではないでしょうか。

 

お笑い芸人の千原せいじさんという方がおられます。ガラの悪さとガサツさで笑いをとられていますが、裏表なく言語や国境、人種を超えてどんな人にも対等に付き合い、いつしか尊敬されるとても魅力的な方でもあります。

その千原せいじさんが、飛行機に乗った時のこと。小さな子ども連れのお母さんも乗っておられ、その子が大声で泣きだしたというのです。すると、一人のビジネスマンが「うるさい!お前母親だろう。静かにさせろ!」と、大声で怒鳴りました。

機内の空気が張りつめたその時、すっくと立ちあがったせいじさん。そのビジネスマンに対して、

「おいっ!何偉そうに言うとんねん!お前もこんな時期があって、今おっさんやってるんやろ!お前最初からおっさんやったみたいな顔して何偉そうに言うとんねん!泣いてるぐらい我慢せい!」とブチ切れたというのです。周りの乗客は「よくぞ言ってくれた!」という雰囲気になりました。

ところが、そこに駆けつけたCAさん、昔でいうスチュワーデスさんに取り押さえられ、退場させられたのは…、お母さんと子どもをかばったはずのせいじさんだったそうです。ガサツでガラの悪さが裏目に出たのでしょうか…。

 しかし、退場すべきはビジネスマンの方でしょう。私たちは皆、小さな頃があったのです。周りの方々に温かく見守られ、許され、育てられてきたのです。最初から大人だったわけではありません。そんなことは、胸に手を当てて考えればわかるはず。その事実を振り返ることなく「うるさい!」と怒鳴りつけるというのは、とても失礼な生き方です。それは子どもやお母さんに対してだけではなく、自分を見守り、許し、育ててくださった方々をも、踏みにじる行為です。

 胸に手を当てた時に、私が許すよりも先に、許されていたことに気づく。それは同時に、温かな気持ちをも生み出します。独りで生きているのではない。つながり合い、支えられて生きているのだと、豊かな気持ちになるはずです。

 

 南無阿弥陀仏とお念仏を称えることは、「胸に手を当てて考える」ことと同じだと、私は思います。私を願い、支え、許してくださる阿弥陀様の世界に出遇うこと。その世界を通して、我が身を振り返ること。独りではない。多くのいのちと共に、阿弥陀様の願いに生かされているのだと、温もりを感じること。胸に手を当て、その事実に目覚めることが、自分自身の人生を、そして周りの方々の人生を、より豊かに尊くいただいていく生き方を開くのだと、教えられるのです。

 

生かされて 生きてきた
生かされて 生きている
生かされて 生きていこうと
手をあわす 南無阿弥陀仏    (「生きる」中村静村)■