2019(令和元)年12月   




  

優しくて、気が弱い、小学生の男の子がいました。彼は妹から、誕生日プレゼントで消しゴムを貰いました。金額的には安いものですが、とてもうれしくて、彼は宝物のように大切に使っていたのです。

ところがある日、隣の席の子から「消しゴム貸してくれよ」といわれました。「大切なものだから、貸したくない。でも人が困っていたら助けてあげなくちゃいけない」。悩みながらも、彼は思い切って貸したのですが、隣の子はいつになっても返してくれません。気が弱いから、なかなか言えない。けれども、大切な宝物。だから思い切って言いました。

「ねぇ、消しゴム返してよ」

「あぁ、どっかにいっちゃったよ」

「えっ!返してよ」

「お前けちだなあ。みんな俺に消しゴムくれよ」

あっという間に、四〜五個集まりました。隣の子は彼の手に、集まった消しゴムを渡します。

「ほら返してやるよ。けち!」

 

 今の時代、消しゴムはすぐに、しかも安い値段で手に入ります。しかし、その子にとっては、大切な宝物。かけがえのないものだったのです。彼はそれ以来、学校に行けなくなってしまいました。

 金額でしか判断できない人には、わからない世界があるのです。お金では買えないものがあり、売り渡すことができない、かけがえのないものがあることが。それがわからなくなってしまうと、人の心を踏みにじっても、気づくことができなくなります。それだけではありません。自らのかけがえのなさを売り渡していることにも、気づけなくなるのです。

 


 もちろん、お金は大切です。しかし、何のために大切なのかが、見失われてはいないでしょうか。以前私の先輩が、若いお坊さんの研修会で、こんなことを言われていました。

「キミたちは、お金というものを汚いもののように思ってはいないか。私たちはお金に、たくさんの恩恵を受けている。お金は大事なんだよ。但し…、お金はいのちを守るために大事なものなんだ。ところが近頃は、お金を守るためにいのちを粗末にしているのではないか」と。

ちょうどその頃、流行っていた保険会社のコマーシャルで、「よ〜く考えよう〜。お金は大事だよ〜」という歌が流れていましたから、お金をどのように大切にすべきなのかを、よ〜く考えさせられたことでした。

 

 

そもそも金額は、需要と供給で決まるものなのです。皆が欲しいと思えば、金額は上がるし、欲しい人がいなくなれば下がります。何にでも金額をつける『開運!なんでも鑑定団』という番組でも、「金額は高くはつけられませんが、これはとても良いものです。どうか、大切にしてください」という鑑定士の人たちの言葉を、よく聞きます。金額が、そのものの本当の価値とは限らないのです。

 そういえば『なんでも鑑定団』の初代司会者で、現在は芸能界を引退しておられる島田紳助さんが、以前こんなことを言われていました。「年収一千万の男が買う十万円のプレゼントと、年収二百万の男が買う十万円のプレゼントは、全く価値が違う。重さが違う。その違いがわかる良い女にならないとあかんのや!」と。ちょうど「お金がすべて」といわんばかりのバブル真只中のことでしたから、とても印象深く憶えています。

同じような話に、『貧者の一灯』という仏教説話があるのです。

ある王様が、お釈迦様を招待したときのこと。宮殿からの帰り道を、たくさんの灯火でともしました。それを見た貧しい老婆が、自分も灯火を寄進したいと、苦しい生活の中から何とかお金を工面し、やっと一本の灯火をともすことができました。そこに強い風が吹いてきたのです。王様がともした灯火は、すべて消えてしまいましたが、老婆がともした一本の灯火は朝になっても消えませんでした。

まさに、金額では、量れないものがあることを教えてくださるお話です。島田紳助さんは、真宗大谷派(東本願寺)系列の大谷高校出身ですから、もしかすると『貧者の一灯』のお話を聞かれていたのかもしれません。

 私たちは金額では量れないものを、見失ってはいないでしょうか。お金は、生きていく上でとても大切なものですが、お金に振り回され、人生における大切なものを見失うのであれば、本末転倒です。

 『仏説無量寿経』には、仏様の智慧を疑う人は、七つの宝石でできた牢獄「七宝の獄」で黄金の鎖でつながれると書かれています。お金より大事なものがない人にとっては、そこは素晴らしいところなのかもしれません。なにしろ宝石に囲まれているのですから。しかし、宝石でできていても、牢獄なのです。金でできた鎖であっても、私を縛り付けるものなのです。

 私たちの現代社会は、まさに七宝の獄といえるのかもしれません。私たちは、金の鎖でつながれているのかも…。仏様は「本当に、求めるべきものは何なのか。よ〜く考えなさい」と、はたらきかけてくださっています。■