2005(平成17)年6月
戦争への道に反対する真宗者の会
会報『シャンティ』vol,6所収





 中国や韓国で吹き荒れた反日デモの嵐。一旦落ち着いたように見えるが、どこでまたどう噴き出すかわからない。日本人の身が危険にさらされる場合だって有るかもしれない。知り合いのお寺の娘さんは、この春から上海へ一年間留学するとのこと。心配そうな親御さんの顔を見るのが憂鬱だった。

 ところで、何でこんなことになってしまったのだろう。国民が抱く不満の矛先が、日本に向けられているという指摘もある。そりゃそうだ。ぶつけようのない怒り、不満は、必ずはけ口を求めていく。これは歴史を見れば一目瞭然。ユダヤ人迫害もそのひとつのケースだし、日本でも、巧妙なシステムと、その人間の心理が身分差別構造を支えてきた(それが部落差別として現在でも存在している)。最近では、新しい教科書を作る会がその典型だ。鬱屈した日本の現状は、すべて過去の歴史解釈に原因があるという見方。それは裏返してみれば、今回の反日デモと本質的にはあまり変わらない。

 これが直接の原因だ!などと、僕なんかが断言できるはずもないが、今回の中国においては、インターネット≠ェひとつのキーワードとして浮かんでくる。これまで、自分たちの思いを、自由に表現できる手段を持たなかった民衆が、インターネットが身近になることによってそれを得た。これは大きな転換だろう。それでも、政府に対しては未だ文句はつけ辛い。だから、その矛先が日本に向けられたということも言えるのかも。
 ただ、藤原帰一(国際政治学者 東大大学院教授)が1999年の時点で、こんな指摘をしていることが興味深い。

「実は、アジア諸国は昔の戦争ばかりを持ち出すという、よく聞く日本人の愚痴は、事実ではない。むしろ、これまで抑えられてきた私的な記憶が、近年なってようやく表現する機会を得たといった方が正確なのである。韓国やフィリピンで激化した慰安婦の補償要求は、各国政府に操作されるどころか、その自国の政府にも立ち向かう側面を持った、社会から発生した要求であった。台湾兵によるさまざまな補償要求も、国民党政権の操作ではなく、台湾政治が民主化し、社会の要求が反映できるようになった、その状況の産物である。これらの新しい「戦争の記憶」は、それまでの公的ナショナリズムではなく、各国における軍事政権や強権支配の崩壊を受けて、それまでは語られなかった「記憶」が新しく語られ始めたものであった。」
    (『平和へのリアリズム』戦争の記憶・国民の物語 藤原帰一 岩波書店)

「これまで抑えられていた私的な記憶が、/ようやく表現する機会を得た」という指摘と、自己表現のツールであるインターネットを得たという状況が、今回のデモを生み出したと関連付けることができなくもない。
 勿論日本では「そんなことは、あっちの政府の問題であって、俺たちはきちんと賠償に応じてきたではないか」という反論があるだろう。ただそれこそが、一方的で、独善的な論理にすぎなかったとしたら・・・。


 子どもを事故で失った母親がいる。身内を殺されてしまった被害者家族がいる。彼ら彼女らは、加害者の「オレはもう刑期を終えた。オレはもう罪を償った。」という言葉に一番戸惑いを感じるそうだ。法律・規則・取り決め、そういうものを教条的に振り回すことで、自分の罪悪感からは逃避できるかもしれない。しかし、その行間に横たわる私的な悲しみ・怒りは鎮めようもない。もしかすると私たちは、賠償をすることで過去から逃避してきただけではなかったか。「私的な記憶」と向き合うこともなく。


「半世紀以上昔の植民地支配や戦争の責任をいま問われることに納得できない人は多いだろう。そのような責任追及には、正当な批判ばかりでなく日本への偏見が混じることも少なくない。/だが、日本の外から見れば、過去の戦争の正当化を試みる議員や閣僚の残る日本こそが異様な存在として映っている。日本政府がどれほど謝罪を声明しようとも、それを裏切るような与党政治家の発言が続く限り、その効果は相殺されてしまう。過去の日本の正当化が、現在の日本の信用を傷つけている。
 ナショナリズムによる国民統合や経済援助を引き出す手段として、戦争責任や植民地支配の責任が中国などの政府やメディアに利用されたことは事実だろう。だが、/歴史問題は、政府と政府の問題から、社会と社会の間の問題へと変わってきた。政府やメディアによる対日非難が先立った一九八〇年代の歴史問題と異なり、現在の靖国参拝や歴史教科書をめぐる論争では、まず中国社会や韓国社会のなかから日本への非難があがり、政府、そして時にはメディアさえ、非難をあおるどころか抑えにかかることも珍しくない。それらの非難には事実誤認や偏見が含まれていることもあるが、日本の要人が日本国民の多くから見ても偏った発言を繰り返す限り、中国や韓国の人々が自分たちの持つ偏見に向かい合うことは期待できないだろう。」
   (『平和へのリアリズム』日本外交―対米優先の限界 藤原帰一 岩波書店)


 「直接顔を見れば、きっと親しく言葉を交わすこともできる。友だちにもなれる。」そう言って、知り合いのお寺の娘さんは、留学の準備をしている(状況を考えると、楽観に過ぎるのかもしれないが)。でも本質的にはその通り。きっと友だちもできるし、場合によっては愛し合うことだってあるだろう。そんな僕たちが国というものにカテゴライズされたとき、どうして憎しみ合わなくてはならないのだろうか。
 政府と政府の交渉にすべてを投げ渡すのではなく、社会と社会が、人と人とが向き合わなくてはならない。そして、その向き合うことを邪魔していく発言には、強く声をあげていこう。

 僕に大切な家族がいて、大切な友だちがいて、大切な想い出があるように、彼ら彼女らにも同様の営みがある。そして、それを失った悲しみも。その営みを想像しよう。そんな『私的な記憶』と向き合うことから始めないことには、いつまでたってもこの迷いの連鎖からは抜け出せそうにない。■