「KY」とは、「空気(K)が読めない(Y)」人を指す若者言葉だそうです。それだけ「場の雰囲気」や「ノリ」を察知する能力が求められる時代なのでしょう。ただ、「空気を読む」ことと周りへの配慮≠ヘ似たようで、全く違います。
 
 周りへの配慮≠ニは思いやりであり、他者への想像力です。世界を豊かにします。しかし「空気を読む」とは、自分の立ち位置を気にするだけにすぎません。他者よりも、自分の有利・不利が優先されます。「場の空気」が変われば、さっきまで大切だったものは平気で踏みにじられ捨てられてしまうのです。
  安倍首相や亀田一家だけではなく、数々の偽装問題や社保庁の年金処理問題も、「場の空気」に支配されたゆえなのではないでしょうか。「空気を読む」ことに懸命になるよりも、立ち止まったり、口ごもったりすることの方が、大切なことを見失わなくて済みそうです。拠るべき場所はどこなのか。そこに立ち返りながら、歩んでいきたいものです。今年もよろしくお願いします。■