2015.10.21


  
『花燃ゆ』で、長門市二条窪が舞台に!
すでに、群馬に移りましたが・・・



 先週放送の第42回から、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は本格的に群馬に舞台を移しました。結局ドラマで楫取夫妻が長門市二条窪に住んだのは、第39回から41回までの三回だけでした。
 幕末の長州を舞台にしたドラマです。また、松下村塾を舞台にした学園ものという一面もありましたから登場人物が多い。山口県では馴染みのある人たちも全国的には知名度がイマイチということで、一人ひとりを膨らませて取り上げなくてはならない。おまけに主人公の文さんがこれまでほとんど知られていない人ですから、主人公のキャラも立てていかなくてはなりません。そんな中で残念ながら、主人公の姉・寿さんの存在感が薄くなってしまいました。
 ということで、ドラマの後に放送される『花燃ゆ紀行』(ゆかりの地を紹介するコーナー)では、極楽寺所蔵の寿さんの書などはカット…。紹介されませんでした。残念。
 法座のシーンはというと、『紀行』のほうでチラリと紹介されましたが、ドラマの方には出ずじまい。まあ、これはNHKですから仕方がないのかもしれませんが。

※ 群馬でのクライマックスかと期待していた、寿さんが新井領一郎に『松陰形見の短刀』を渡すシーンも、ひっそりと、さらりと終わってしまいましたし…。これも残念。








 

長門市二条窪 楫取素彦旧宅 桜楓山荘跡地







 一方、二条窪のシーンには、元奇兵隊士・中原復亮が登場しました(実はこれまでも、チラリチラリと出ていたのですよ)。演じるのは堀井新太さんというイケメン俳優です。

 中原復亮は、実在の人物。長門市三隅豊原(二条窪の近くです)の出身で、早くから奇兵隊士として活躍。四境戦争では小倉口の戦いに出征し、小倉城を落とした際には、敵将の甲を戦利品として身に着け下関に凱旋しました。



 

中原復亮








復亮戦利品の兜







復亮が使った奇兵隊隊長旗






 鳥羽伏見の戦いで傷を負い、故郷三隅で療養。完治した後上京し、かつての隊長・山形有朋に職の斡旋を依頼します。しかし職をえることはできず、落胆した宿への帰り道、たまたま出張で東京に来ていた楫取素彦とバッタリ出会います。
 楫取は、「職がないなら、群馬(当時は熊谷県)に来なさい。ただし、同郷だからと贔屓はしない。」と誘います。復亮は、群馬へ行くことを決意。しかし、楫取は本当に贔屓しませんでした。最初に斡旋したのは、監獄の等外出仕、つまり臨時職員です。このような誠実な態度が、楫取が群馬の人々に受け入れられた所以でもあるのでしょう。
 監獄の施設長・近藤清に宛てた手紙には、「この者は兵隊くずれであるから、十分な仕事はできないかもしれないが、正直さと身体の丈夫さだけは保証します。」と書かれてあります。


 

近藤清に宛てた楫取素彦の書簡







復亮は、誠実に職を勤め、後に土木課長にまで昇進します。土木課長ですから、楫取県政の中枢にいたとは言えませんが、楫取からは信頼を受け、様々な形で尽力します。療養のために東京へ移った寿さんが、利根川を舟で下るときに、最後まで見送っていたのは復亮だったと言われています。ですから復亮は、ドラマの舞台が群馬に移ってからも、登場するはずです。


 ちなみに、復亮の娘・中原篷は、山口県初の女医として地域医療に尽くしました。県初ではありますが、東京女子医科大学の創立者・吉岡彌生と共に学んでいますから、日本の女医としても先駆者の一人と言えるでしょう。篷は、三歳のときに復亮に連れられて群馬に移っていますから、楫取が整備した教育環境で学び医者となったのです。後に三隅の名誉町民に推挙されています。




向って左が、中原篷





中原復亮と篷に関しては、現在長門市村田清風記念館で開催中の『楫取素彦と妻・寿展』で、特別展示を行っています。
 復亮の奇兵隊隊長旗や、小倉城主の兜など珍しい品も展示しております。ぜひ、こちらもご覧ください。■