2017.8.20

平和の鐘を撞きました。








 


 いやぁ、暑いですね。年々暑さが厳しくなってきました。その為、今年から時間を早め、盆法座の日程を八月十四、十五日の午前九時からに変更しました。
 また、これまで十五日には、「盆法座」に兼ねて「魚法会」を勤修していました(漁村ならではですね)が、これも少し形を変えることにしました。「魚法会」と「全戦争犠牲者追悼法要」を兼ねて『いのちを尊ぶ法要』とし、法要後に「平和の鐘」を参拝者の皆さんと撞くことにしたのです。

 八月十五日は、終戦記念日。
しく、しく、残酷な戦争は、昔の話ではありません。今でも、世界中で続いています。戦争は、一部の政治家がするものではなく、価値観空気など、日常生活の積み重ねであることは、歴史が教えてくれるところです。

 私たちの
先輩方は、魚のいのちをわねば生きていけないしみとみの中で、「魚法会」をめてこられました。痛みがあるということは、尊んでいることの裏返しです。しかし今や、魚は海産資源としてしか見られません。つまり、「役に立つか、お金になるか」でしかわれなくなっているのです。そしてついには、人間さえも同様に扱う時代になりました。
 
 いいのちをい、いただきながら、生かされている。そのことに悲しみや痛みを感じることがなかったら、いのちのさがわからなくなります。それはりのいのちだけではなく、らのいのちをもうことになるのです。戦争も、その延長線上にあるのでしょう。
 阿弥陀様の光にらされ、自らを振り返り、いのちの尊さを味わう。その思いと平和へのいを、き渡るの音に重ね、周りのいのちを尊ぶ生き方の一歩としていく。そんな願いを込めています。