一、寺の起源



極楽寺は六百年余りの歴史をもつが、開基祐願(1411年寂)から第8代住職善哲(1686年寂)まで約三百年の歴史は、歴代住職の命日以外はわからない。
  

 


 寺号、木仏安置などの認許を受ける大事業を終えた第9代哲玄が死去して五年後の1741(寛保元)年、第10代住職星應(1743年寂)が提出した「真宗 堂古山 極楽寺由来書」(『防長寺社由来』)には、「池信拾郎左衛門という者が弥陀の名号を安置していたが、度々の夢の告げによって出家し、法名を祐願と名のり、念仏の教えを弘め、三十五年後の応永18年に死去した」と記してある(天保の願書には、「郷士」となっている)。

これは、開基の死後三百三十年経った年に提出した寺伝であって、初代に関わる資料はない。その必要がないまま三百余年を重ねたのであろう。■


 

     木仏、寺号「極楽寺」、本願寺前住上人御影 許状
 







山 号
〜堂古山から堂固山へ〜
   

延暦寺は比叡山、金剛峯寺は高野山といったように、お寺には山号というものがある。極楽寺の場合は、「堂固山」。しかし、当初は「堂古山」であったようだ。1830(天保元)年に現本堂が再建された後に、「堂固山」と変更したらしいが、理由はよくわからない。最も古い記録としては、1852(嘉永5)年に改写した過去帳の表紙に「堂固山」と書いてある。■

 



二、極楽寺は、四百年前にはすでに野波瀬にあった