六、明治から終戦までの八十年


1885(明治18)年如来様の御宮殿が門徒中で寄進された。前卓や須弥壇も同じ頃か。堂内の御荘厳は一段と輝きを増した。当時の住職は第19代の至暁。1897(明治30)年頃に庫裏を瓦葺きで新築したようだが、記録が残っていない。

 第20代住職脩省は、多くの労苦をかけて門徒宅の位牌や過去帳を調べ、寺の過去帳と照合して、1915(大正4)年までに戸別、年別の過去帳を作成。また同じ頃に、第10代住職星應代以降の当山累代図譜(系譜)も整理してまとめている。誠に貴重な行蹟である。
 1924(大正13)年、本堂海側の屋根の大修理が行われている。
 1931(昭和6)年、道路拡張のため、現納骨堂の道路側の石垣を築造、また土地交換によって正面参道が新設された。
 1939(昭和14)年8月、第21代住職大融は応召従軍。中国、マレー、ジャワ、濠北を転戦。1946年6月南方から復員できたものの、この七年間は坊守雪江が得度して寺を護り、老人や婦人の門徒に支えられての月日であった。この間、1942(昭和17)年8月に梵鐘ほか金属仏具はすべて戦争のために供出させられ、終戦の1945(昭和20)年5月から8月までは、本堂庫裏に軍隊が駐留し、御本尊はじめ法物仏具は庫裏の一室に移転させられ、本堂は兵舎となって荒廃した。■


  

 
第20代修省住職


 
本堂前にて


 
      
               第21代大融住職     得度をした雪江坊守










 
七、戦後三十年の修復