七、戦後三十年の修復


 1946(昭和21)年6月、大融住職が復員し、戦後混乱の中、御門徒の熱い御懇念と協力によって、本堂内外の復旧が進められ、1948(昭和23)年にようやく継職法要が勤められた。物資不足で難渋したという。  1963(昭和38)年秋、当山の宗祖700回大遠忌法要が厳修された。前年十二月に本堂外椽、向拝階段が築造され、明けて内陣の御荘厳の煤抜き洗い、仏具の新調が行われている。
 1968(昭和43)年、寺有林の立木を売却して新規植林をすることになり、売却金で庫裏の屋根の葺き替え(古瓦利用)、本堂の障子、畳などの整備、七条袈裟の新調をしている。翌春、寺山に松杉桧、約一万本の植林を門徒総出で二日間奉仕している。その後数年間、下刈り奉仕が続いた。
  

 
1948(昭和23)年第21代大融住職継職法要 
 


 
1948(昭和23)年建立の石柱門(宮崎家寄進)


 
 境内の近代的な納骨堂は、野波瀬地区急傾斜防災工事に関連して、墓地の移転が必要になったことが動機となり、1968(昭和43)年に竣工した。工事の必要上、堂の後側の道を拡げ、石垣を築きかえた。

 
  
      工事中の納骨堂       1968(昭和43)年納骨堂落慶法要


   

 1973(昭和48)年、戦時に供出した梵鐘の再鋳を河内信雄、内山芳二兄弟から寄進申し出があり、鐘楼を門徒中で新築した。仏具類の特別寄進もあり、堂内外が整備され、第22代宏證住職の継職法要が厳修された。


  


    
役員さんと梵鐘吊り下げ




 
 第22代宏證住職継職法要







八、第二十一代大融住職