幕末の剣豪で、北辰一刀流の創設者千葉周作が若い頃のお話。武者修行の旅の途中、今の愛知県三河の、ある屋敷にお世話になりました。
その屋敷では、夜になると若い衆たちが、これといった道具もなしに、沢山の貝や魚を取ってくるのです。たずねると、潮がひいてできる潮溜まりに、取り残された魚を手づかみにするとのこと。「よければ、案内いたします」というので、早速出かけることになりました。 なるほど、潮がひいてできる潮溜りに、魚や貝が取り残されていて、面白いように獲れます。調子に乗って、沖へ沖へと進んでいくと、しばらくして案内人があわて出しました。聞けば、どちらが岸か、沖かがわからなくなったと言うのです。星を見ようにも、あいにく空は曇っていますし、幕末ですから外灯なんてありません。松明を全部つけても、手元は明るくなりますが、闇はますます暗くなります。
そんなとき、周作の耳にかすかに千鳥の鳴く声が聞こえました。「昔江戸城を作った太田道灌が、物見に出かけ、あまりの暗さに潮の干満がわからなくなった際、千鳥の声を聞いて干潟のあることを知った」という故事を思いだし、その声をたよりに進み、何とか岸にたどり着くことができました。
若い衆が、口々に周作の博識ぶりを讃えていると、話を聞いていた屋敷の主人が、突然怒り出したのです。
「長年浜辺に住みながら、お前たちは何と馬鹿者揃いか。今夜は幸い千鳥が鳴いたからいいものの、鳴かなかったらどうなる?そんな時には、まず松明を消すんだ。なのに、松明を全部つけたという。あきれ果てた馬鹿どもだ。
よく考えてみろ。松明をつけても、足元が明るくなるだけで、遠くはますます暗くなる。そんなときには、松明を全部消せば、どんな闇夜でも、あるかないかの光に目が慣れて、沖と岸との見分けくらいは、自然とつくものだ。」
これを聞いた周作は、目の覚める思いがしたそうです。
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