お仏壇は、単なる先祖を祀る場所ではありません。お仏壇は、阿弥陀様の国お浄土を表します。お浄土を通して、仏様になられた亡き方と出遇っていくという形をとるのです。
極楽寺のある長門市三隅地域では、都会と違って葬儀会館ではなく、家での葬儀がほとんどです。すると、遺体の前ではお焼香し、手を合わせるけれども、お仏壇は素通りされる方を時々見かけます。もちろん他宗教・他宗派の方もおられるからということもあるでしょうが、「葬式なんだから、まずは死んだ人を拝むべきだろう」という方も多いのではないでしょうか。しかし、浄土真宗では遺体よりもまず、お仏壇に手を合わせるという形をとります。それは、亡き人を粗末にするということではありません。亡き人を大切にするがゆえに、ご本尊である阿弥陀様、お仏壇に手を合わせるのです。
最近は世の中全体が忙しくて、葬儀や法事の日程を決めるのも、なかなか難しい時代になりました。ある方の葬儀の前日、知りあいから電話があったのですが、その内容が「明日は友引だけれども、葬儀をしていいのか」というものでした。「友引」とは、中国の暦、六曜からきたものだとされていますが、元々の意味は「引き分け」という意味だそうです。ところが字面だけを見て、「友を引いていく」から、引いていかれたらたまらないということで、その日には葬儀をしないという風習になったとか。今では、すっかり定着してしまいました(韓国のホラー映画に、『友引忌』というものがあるそうです。元々の題名を直訳すると『悪夢』だそうなのですが、邦題としてわざわざ付けたようです。困るんですよね。安易に、こんな使われ方をすると)。
でも、考えてみて下さい。あなたの友達は、あなたを巻き込んで死に至らしめるような方なのですか?それは、亡き人に対して失礼に当たるのではないでしょうか。
とはいえ、周りの人から「友引」に葬儀をしてはいけないと言われたら、遺族にしたら不安な気持ちにもなりますし、大きなプレッシャーになるでしょう。でも今の時代は、日程的にやらざるを得ない場合もある。そんな時に、たまたま悲しみ事が重なったりすると、「ほら見ろ。友引に葬儀をするから・・・。」これは残酷な言葉ですよ。ただでさえ悲しみの中におられる遺族の方を、更に傷つけることになるのですから。
こんな驚くようなこともありました。お別れの時に、ご遺体の顔を愛おしそうに撫でながら、涙をこぼしておられた方に、「お棺に涙をこぼしたら、死んだ人が後ろ髪引かれて、成仏できないから」と、二三人で引きはがそうとされるのです。こんな考え方は、感謝の涙を、尊い涙を、貶めてしまうことになのではないでしょうか。
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