お仏壇とは、自分のいのちの行き先を阿弥陀様に聞き、お浄土への人生を歩まれた先輩方の歴史が、往生人の歩みが刻まれた場所です。
しかし、いつからか私たちは、そんな先輩方の後ろ姿から目をそらし、テレビの画面や面白おかしいこと、お金にまつわることばかりを追いかけて、いのちの行き先を見失ってしまったのではないでしょうか。
死んだら、どこヘ行くの?
最近、飲み会などで、同世代の人たちから住職である私に、こんなことを尋ねられるようになりました。「結局、死んだらどうなるのか。地獄や極楽は、本当にあるのか?」と。
興味本意の質問なのか、五十歳を目前にしてそういうことにも興味が出てきたのか、大切な人との別れを経験したからなのか。
立場はそれぞれなのでしょうが、ではそこで私が「浄土があるよ」と簡単に言っていいものなのか、考え込んでしまったのです。逆に、説得力がなくなってしまいそうで。
「浄土や地獄?そんなものあるわけないだろう。」「そういうのは、古い考え方だ。」そういう人たちが多くなってしまった時代に、どれだけ理屈を並べたとしても、リアリティーを感じることはできないのではないでしょうか。何か証拠でもあれば説得力も出るのかもしれませんが、証明しようがないことですし、「あるわけない」という人ばかりを見て育った人にとっては、簡単にうなずけるものではないでしょう。
ある女性が、高校生のお孫さんを脳腫瘍で亡くされました。十代の、人生これからというお孫さんを見送る祖母としての悲しみを思うと、言葉になりません。その女性は、亡くなる前にお孫さんから二つのことを尋ねられたそうです。
一つは「おばあちゃん僕は死ぬの?」という問いでした。
そして、もう一つは「おばあちゃん僕は死んだらどこへ行くの?」という問いだったそうです。
そのお孫さんの問いに「私は、何一つ答えることができませんでした。」と語られた女性は、そのことをご縁に、聞法の歩みを始められたそうです。
でも、言えなかったということは、実はその方の誠実さをあらわしているのではないでしょうか。日頃はそんなことを考えたこともなく、天国も浄土も、あるなんて思ったこともなく、そんな場面に出くわした時だけ気休めのように「死ぬんじゃないよ。また会える世界があるんだよ。」なんて、死を目前にした孫の真剣な問いに対してとても言えない。自分の日頃からの生き様を考えると、言えば言うほどその言葉が軽いものになる。そう思われたからこそ、何一つ答えることができなかったのだと思います。
私が簡単に、浄土の話をしていいものなのか考えてしまうのは、やはり同じ理由からなのです。これだけリアリティーを感じられない時代に、言葉や理屈だけで、伝わるのかどうか、思わず考え込んでしまったのです。ならば私たちは、いのちの行き先を、何を根拠に見出すことができるのでしょうか。
出遇いがあるからこそ
信國淳という先生は、自分の人生の行き先を決定づけた、ある出遇いを語られています。
私は不図その「人」に出遇ったのである。その「人」がどんなだったかを語るのに、私は今更何の贅言も必要とせぬ。ただその「人」が、/稀有な、生きた「念仏者」であったことを言えば足りるのである。/その「人」を間近に見、その「人」の語る言葉を聞いたそのことが、私のすべてを一挙に決定したのである。/ 私は、「その人」に出会ったその夜、/昂奮して、妻に向かってしゃべり散らした自分の言葉を今思い出して、その異様さに、自分ながらちょっと驚かざるをえない。・・・・私は浄土に往く。浄土が何処かにあって往くというのではない。浄土を思想的に考えたり、観照的に捉えたりして、そこへ往くというのでも毛頭ない。私が浄土へ往くという理由は簡単だ。私今夜、念仏して浄土に往く人を見て来たんだ。この眼ではっきり見て来たんだ。ただそれだけ。それでもう充分。私はこの人を信じる…」
(『いのち、みな生きらるべし』 信國 淳)
そこに、念仏して浄土に往く人を見た。その人の生き様に、阿弥陀如来のはたらきを見た。「ただそれだけ。それでもう充分」だと言えるような出遇いがあったからこそ、私たちの先輩方は、ただ念仏し、手を合わせるようになられたのではなかったでしょうか。その後ろ姿が、綿々と念仏申す歴史につながってきたのでしょう。
なびく木が、風を知らしめるように
浄土については、こんな譬え話があります。
風そのものは目には見えないけれども、なびく木々を見れば、風が吹いていることがわかる。同じように、お浄土そのものは私たちの目には見えないけれども、なびく木が風の存在を知らしめるように、その人の人生の歩みが、浄土のはたらきを明らかにするのだと。
それは、立派な人になる、願いが適う、病気が治る、そんなはたらきではありません。人間である限り、病いも老いも、死もまぬがれることはできません。思い通りにならないし、人に迷惑をかけずにしか生きられない。
しかし、オロオロうろたえながらでも、阿弥陀様の呼び声であるお念仏をよりどころに、現実に向き合いながら生きていく歩みです。阿弥陀様に励まされ、共に生き抜く歩みです。
そこに、自分の人生を、他者の人生を、尊く豊かなものにしていくはたらきを見た人があった。人生を虚しいものにしないという、お浄土のはたらきを感じた人があった。そして、同じ道を歩みたいという人が生まれたのです。
その歴史は、お仏壇の前で綿々と受け継がれていたはずなのに、いつからか、その後ろ姿よりも、テレビの画面や面白おかしいこと、お金にまつわることばかりに気をとられ、私たちはいのちの行き先を見失ってしまったのではないでしょうか。
目に見えない道を、歩むには
『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』という映画があります。
冒険家で考古学者のインディ・ジョーンズ博士はイエス・キリストの聖杯を求めて、洞窟を進みます。途中、古文書をたよりに様々な罠を避けながら行くのですが、突然大きな谷底が目の前に広がりました。底が見えないような深い谷を渡らなければ、聖杯のある洞窟へはたどりつけません。
古文書には、「神を信じて、飛び降りよ」とあり、空中を歩む人の姿が描かれています。とはいえ、なかなか深い谷底へと飛びこめるものではありません。しかし、銃弾に倒れた父親を救うには、聖杯の力がどうしても必要なのです。
心を決めて飛び降りると…、 そこには目には見えない透明な道が用意されていたのでした。インディは砂をかけて、後を進む者に道のあることを教え、洞窟の奥へと進んでいきました。
いくら、古文書に書かれていようとも、理屈や理論で説明しようとも、目には見えない道を進む気には、なかなかなれません。しかし、先を歩む人がいるからこそ、その後ろ姿をよりどころに歩むことができるのではないでしょうか。
親鸞聖人は、念仏が浄土への種なのか、地獄への業なのかはわからない。ただ、私は法然上人の仰せに従うだけだと言われたと、『歎異抄』第二条には書かれています。そしてその文章は、次のような言葉で結ばれています。
「このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、
またすてんとも、 面々の御はからいなりと云々」
(『歎異抄』第二条)
法然上人との出遇いが真実であったということに絶対の自信がなければ、ここまでキッパリとは言い切れません。私はいつも、この部分を読むたびに、感動し、シビれるのです。あぁ、私も同じ道を歩みたい。この歩みから生まれてくる気づき、喜び、感動を、共に味わいたい。あるかないかはわからないけれども、私にはこの道しかない。ただ、そうとしか言えないのです。
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