2024(令和6)年12月号 




 

今年も、あっという間に一年が終わろうとしています。目の前のことに追われた、気忙しい日々の送り方は、ここ数年繰り返しているパターン。だからこそ、足を止めて一年をふり返るというこの企画は、とても大切なものになっています。今回は、私の大好きなスポーツ観戦を切り口にしてみました。


 


カープ、九月に歴史的大失速(今年の夏は、長く暑かった!)

 

8月終了時点では首位を走り、いよいよ優勝へのラストスパート!と思っていたのに…。わがカープは9月を大きく負け越し、結局4位に終わりました。このようなケースは、プロ野球史上初だそうで。あまりの凋落ぶりに、ただ呆然とした一か月でした。
 でも今シーズンは、薄氷を踏むような試合ばかり。ずっと冷や冷やしていましたから、「恐れていたことが、遂に来たか」という思いもありました。裏返せば、選手層の薄いチームが、ここまで力以上のものを振り絞り、奮闘してきたからだといえるでしょう。それを引き出した新井監督の手腕は、たとえこのような結果になったとしても讃えられるべきだと思います。
 元々、カープは地方球団ですから、他球団よりも移動時間が長いというハンデがあります。しかも屋外球場ですから、夏の暑さには、かなり体力を削られたはず。そんな言い訳をしたくなるほど、今年は異常に暑く、長い夏でした。
 しかし、新井監督を始めとしたカープの選手たちは、この結果を自分たちの実力不足と真摯に受け止めています。秋季キャンプでは、これまでにない練習量をこなしました。
 そんな彼らを見ながら、スポーツにはその瞬間に一喜一憂するだけではなく、長い時間幅で見るストーリーとしての楽しみ方もあることを思い出しました。今年の失速をストーリーの一場面として見ることで、来年以降に「この苦い経験があったからこそ」「あそこで躓かなければ、今の自分たちはない」とふり返ることができる。そんな楽しみ方が。
 この挫折を、大切な経験として受け止めることができるよう、活かして欲しいと思います。いやそれは、カープの選手ではなく、私も同じなのですが。


 





井上尚弥が、初ダウン!(自分の弱さと向き合う強さ)


ボクサーの井上尚弥選手は、プロに入って連戦連勝。4階級制覇、2階級4団体制覇という偉業を成し遂げた絶対王者であり、世界的なスーパースターです。
 ボクシングという競技では、ほぼすべてのボクサーが、試合後ダメージを受けています。勝った選手でも、顔が腫れあがるのは当たり前の世界。ところが井上選手は、ほとんどの試合をダメージなく終えてきました。彼は攻撃力も凄いのですが、ディフェンス能力の凄さも桁違い。まさに彼は、異名通りの「モンスター」なのです。
 そんな彼が、5月の試合で1ラウンド目にダウンを取られました。ビックリです。井上選手がダウンするなんて。しかし、その後の彼のふるまいには、もっと驚かされました。
 ボクサーがダウンを取られて、一番やってはいけないこと。それは、慌てて立ち上がり、試合を始めることなのだそうです。不用意に立つと、精神的にも肉体的にもダメージを引きずってしまうから。だから、まずは落ち着いて、カウント9までゆっくりと休む。このわずかな時間を取るかどうかで、その後の展開がまったく違うのだとか。
では井上尚弥選手は、どうふるまったのか。彼は、まず自分を落ち着かせ、それからカウント9まで休んで立ち上がり、ガードを固めてこのラウンドをしのぎました。そして、次のラウンドでダウンを取り返し、6ラウンドでKO勝ちしたのです。
 いやいや、驚きました。あの絶対王者が、ダウンしたときのふるまい方を練習していたわけです。一度もダウンしたことがないどころか、ほとんど相手に打たれない「モンスター」が。いやはや。派手なKO勝利に目が行きがちですが、井上尚弥選手の本当の凄さは「自分の弱さ」と真摯に向き合うことにあるのではないか。私も少しは真似しなくては。そんなことを思わされました。

 

 



 

パリオリンピック、日本選手団大活躍
(便利さと気分が作る、歯止めのない世界)

 

猛暑の中、行われたパリオリンピックでは、日本選手が大活躍。金メダル・メダル総数ともに海外大会の最多を更新しました。
 同時に話題になったのが、SNSを使った選手への誹謗中傷です。敗退した選手へのバッシング。微妙な判定で勝利をつかんだ選手への侮蔑的なコメント。審判の判定への容赦ない攻撃。国際オリンピック委員会は、パリ五輪期間中に選手や関係者に対してオンライン上で8500件を超える誹謗中傷の投稿が確認されたと発表しました。


 そもそも、スポーツ観戦には野次はつきもの。でもそれは、その場限りで消えていくものでした。周りからも、「アホなおっさんが、バカなこと言っている」と笑われて、終わっていた話だったのです。そもそも、プロになるまで努力してきた選手に対して、素人が意見できるわけがない。でも、愛憎入り乱れたファン心理も、わからないではない。そんな中での、暗黙の了解があったように思います。
 それが、インターネットやSNSの出現によって、大きく変わりました。その時の気分を気軽に書き込むと、その言葉がネガティブな共感を伴って大きな悪意へと増幅され、相手を深く傷つける。時には死へと追いやる。そんな力を持ってしまったのです。しかもその言葉は、拡散し続けていく。ところが、書き込んだ方は気分だから、責任を感じることもなく、すぐに忘れしまう。これは本当に、恐ろしいことだと思います。

 ところで皆さんは、「世論」という言葉の読み方をご存知でしょうか。大抵の人は「よろん」と読まれることでしょう。モチロン間違いではありません。但し、この語にはもう一つ、「せろん」という読み方があります。そして、かつての日本人は「よろん」と「せろん」を明確に区別し、「世論」は「せろん」と読んできました。一方、「よろん」は「輿論」と表し、別の意味を込めていました。これはそれぞれを英語で表記してみると、違いが明らかになります。

 「輿論(よろん)」は英語にすると「パブリック・オピニオン」、つまり「公的な意見」のこと。
 「世論(せろん)」は「ポピュラー・センチメント」で、「大衆的な気分」という意味です。

 かつては、これらをしっかりと区別してきました。意見としての「輿論」を重視し、気分としての「世論」を問題視したのです。ところがいつしか「輿論」という語が使われなくなり、「世論」が「よろん」とも「せろん」とも読まれ、いつの間にか区別がつかなくなってしまったのです。(『リベラル保守宣言』中島岳志)
 「意見」とは、自分の主張や考えです。当然そこには、責任が伴います。それに対して「気分」とは、その時の心持ち。天気のようにコロコロ変わり、その場の雰囲気や空気にフワフワと流され、その場限りで消えるもの。ところがその気分が、ネットやSNSの出現で、大きな影響力を持ち始めたのです。
 それは、スポーツ選手への誹謗中傷だけではありません。その場の気分が人気者を作り、その時の気分で炎上が起こる。気分で投票し、熱狂し、醒めればこき下ろす。芸能界においても、政治の場においても、私たちの身近でも。そしてその気分は、消えてしまえば記憶にも残らない。そこには、責任の自覚も、自分と真摯に向き合う態度もありません。
 
 では、このような状況下、私たちはどうふるまえば良いのでしょう。上智大学でメディア文化論を専門とされる佐藤卓己教授は、不用意に反応しない力こそが重要だと言われます。
 「情報の真偽を即座に見極めるなど、できるものではない。むしろ曖昧で不確かな情報を上手に見過ごす力が大切で、多くの場合、情報の真偽は時間の経過で明らかになるのだから」と。
(毎日新聞2024年11月28日『戦後80年―座談会第一回「戦争とメディア」』)
 
 井上尚弥選手のように、カウント9まで待って心を整える。目先のことに一喜一憂するのではなく、長い時間幅で見るストーリーとして味わっていく。そんな営みを、私たちは失ってはいないでしょうか。スピード化(タイパ)、効率化(コスパ)が最上の価値と語られる中で、「時間の経過」という大切な要素を見失っているのではないでしょうか。


 そして、こんな時代だからこそ、お寺という場の重要性を思うのです。なぜならお寺は、私たちの時間感覚を引き伸ばしてくださる場だからです。
例えば、うちの本堂が建ったのは、二百年くらい前のこと。私たちは、二百年前の人たちと同じ場で、同じ阿弥陀さまに手を合わせ、同じお念仏を申しているのですよ。また、報恩講という行事は、親鸞聖人のご恩に報いる集いですが、750年以上も前に亡くなられた人に対してリアルにご恩を感じている人がいたからこそ、この行事が続いているのです。
 そんなことを思うと、自分の中の時間感覚がぐぅーっと伸びていく感じがしませんか。この、時間に対するスケールの大きさを取り戻す場としては、お寺は最適な場だと思います。そして、そのことが「不用意に反応しない力」を育ててくださるのではないかとも思うのです。

 



 まとめ  


他にも、「MLB大谷翔平選手の大活躍」など、語りたい話題はまだまだありますが、ここら辺りで。しかし、本当に世知辛い世の中になりましたね。気忙しさに流されず、阿弥陀さまに手を合わせ、お念仏を申しながら自分の人生に向き合っていく。そんな、地に足を着けた営みが、本当に求められていることを感じています。今年一年お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。■