2025(令和7)年8月号 







 

現状報告

 これまで使っていた抗がん剤の効果がイマイチだったので、薬を変えることになり、六月末より三週間の再入院をいたしました。吐き気やだるさなどはなく、元気に過ごしています。
 ただ、副作用からくる便秘がきつくて、これには参りました。便秘って、こんなに苦しいものだったのですね。
 あと、髪の毛が抜け始めています。シャワーの後に鏡を見ると、地肌が見え、プロレスラーの鈴木みのる選手のようです(あんなにカッコ良くはありませんが)。
 どうせ抜けるなら、丸坊主にとも思うのですが、抜けた毛にある程度の長さがないと、後始末が大変なのだそうで。だから、一段落つくまで、このままいくしかありません。

 これからも、短期入院を繰り返しながら、薬を入れることになるようです。。



 






 

「世間の声」に抗うには

 前回、病いに伏す人に対して「ああなったら終わりだ」と呟いた先輩住職のお話をさせていただきました。あの言葉があったからこそ、私はもう一度、「ああなっても、終わりではない」といえるお念仏の教えに出遇い直すことができたこと。そしてそのことが、今の私を支えてくださっていることを。

 しかし考えてみれば、近頃は「ああなったら終わりだ」と考えている人の方が、多いのではないでしょうか。死んだら終わり。動けなくなったら終わり。人に迷惑をかけたくないし、あんな惨めな姿は晒したくない。周りを見渡せば、そう言われる人は結構おられます。だからこそ先輩も、あの言葉を軽々しく言えた。いや、そんな世間の感覚が、彼に語らせたのではないかと思うのです。

 これは、他人事ではないのでしょう。私も、次男の病気がなかったら、親しい人が伏せっていなければ、世間の空気に流されて、同じように思っていたかもしれません。それほど、世間の声や時代性というものは、大きな影響力で私たちを包んでいます。これまでの枠組みが揺さぶられるような、大きな出会いや出来事がなければ、世間の声に抗うことは、とても困難だと思います。

 








 
江藤さんの決断

 入院中、『江藤さんの決断』(朝日新聞こころのページ編 一九九九年発行)という本を読みました。この本は、戦後日本における文芸批評の第一人者であり、憂国の論客として社会的にも大きな発言力を持っておられた江藤淳さんの決断について、朝日新聞が読者の投書を募り、まとめたものです。

 江藤さんは、一九九九年に鎌倉市の自宅で自死されました。六十六歳でした。翌日には、短い遺書が公表されます。

 「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ。これを諒とせられよ」

 前年に、長く連れ添った妻を亡くされています。ご夫婦の深い絆は、著書『妻と私』で綴られており、最愛の人との別れという大きな背景がありました。その後、脳梗塞の発作を起こし、後遺症で心身の不自由が進行したことも原因だと見られています。その苦しみの深さを思うと、言葉になりません。

 この決断に、当時、多くの著名人が「死に際がすっきりしている。流石だ」と褒め讃えました。遺書は、名文として当時の新聞の見出しにもなりました。そして、『江藤さんの決断』に掲載された投書にも、当初はその心境を理解し、共感を示すものが多く寄せられています。亡き妻を追うように死を選んだ心情への共鳴。「醜い姿を晒したくない、迷惑をかけたくない、という気持ちは尊重されるべき」という尊厳死についての意見。軍人の多い家系の江藤さんだからと「男らしく潔い決断であり、武士としての美学は尊重したい」という主張。そして、同じく妻に先立たれた男性たちの、人生の黄昏が迫る中で出会った、本当の孤独に対する悲痛な思いなど。

 しかし時間が経過すると共に、批判的な投稿が増えていきました。そこには、それぞれに苦しみや孤独を抱えながらも、現状を何とか受け容れ、もがき、精一杯生きようとする人たちの歩みが綴られた、深くて重い言葉が数多くありました。
 特に、江藤さんの遺書にあった「形骸」という言葉には、多くの反発があったようです。その根底には、「ならば、私は形骸なのか」「私の姿は醜いのか」「私たちには、生きる資格がないのか」といった、存在をかけた叫びが込められているように感じました。

 私には、江藤さんの決断を批難することはできません。私にもそんな弱さがあることを、よく知っているからです。苦しみの中で、弱音を吐いてしまうこと。周囲に当たり散らしてしまうこと。逃げ出してしまうことは、人間である限り誰でもあり得ることでしょう。それを選んだからと責めることも、その人の人生を否定することもできません。
 しかし同時に、この決断を「諒とせられよ」と言われても、肯くことはできないのです。ましてや美化することなど、してはならないと思っています。なぜならそれは、どこまでも悲しむべき決断だから。


 「死にたい」という人に、「死んではいけない」という言葉ほど残酷なものはない、と聞いたことがあります。「自ら死を願う。その人の思いを尊重したい」といわれる方もおられます。確かに、そうなのかもしれません。でも、思うのです。その方は、本当に死にたいと思っていたのかと。心の底では、生きたいと願っていたのではないか。ただ、死にたいと思ってしまうほどの状況に追い込まれていたからではないかと。

 その状況とは、身体的な苦しみだけではないはずです。「今のあなたは、もう形骸に過ぎない」「醜い姿を晒すのは恥ずかしい」「もう生きる意味も価値もない」「美しく死ぬべきだ」、そんな世間の声に圧され、自分を責め、追い詰められてはいないでしょうか。
 ならば、「諒」とし美化することは、「死にたい」と思う人を尊重する行為ではなく、「死にたい」と思う人を生み出す行為に他なりません。厳しい状況でも、もがくように生きようという人の営みを蔑み、否定する行為でしかないのです。

 私は、生にのみ執着しているわけではありません。ただ、死を受け容れることと、自ら死を選ぶこと(死を選ばされること・生を否定すること)とは、明確に違う。そのことは、はっきりと主張したいと思います。

 


 







 それでも人生にイエスという

 児童文学研究者の清水眞砂子さんは、「何かを否定するのと肯定するのと、どっちが楽なんだろう」と考えたそうです。そして、「人生なんてどうせと言う人と、人生もまんざらではないよと言う人と、どちらが大変か」といったら、「人生まんざらではないよという人のほうが、恐らく何倍ものエネルギーを使って生きているのではないか」と思うようになったといわれています。(『幸福に驚く力』)

 確かにそうだと思います。苦難の人生だからと嘆き否定するよりも、苦難の人生にも関わらず、豊かさを探り出し肯定していく方が、何倍ものエネルギーが必要でしょう。
「ああなったら終わりだ」と否定する人の言葉は、私には軽々しく聞こえてきます。人生を簡単に決めつけるなよとも思います。一方、「ああなっても終わりではない」ともがきながらも、輝きを見出していかれた人の歩みからは、人生とは何と奥深いものなのかという驚きと共に、これまでの枠組みが揺さぶられていくのです。


 
 


 精神科医のヴィクトール・フランクルは、第二次大戦中ナチス・ドイツに捕らえられ、アウシュヴィッツなどの強制収容所で過酷な日々を過ごしました。彼は、『それでも人生にイエスと言う』という著書で、極限の状況にありながらも、人間の尊厳を失わず、生きる希望を捨てなかった人たちを紹介しています。タイトルからして心揺さぶられませんか。「あなたは、人生にイエスと言えるような生き方をしているのか」と問いかけられるようで。

 繰り返すようですが、私は江藤さんの決断を否定するつもりはありません。人間である限り、そんな弱さを誰しも持っているから。しかし、安易に美化し、賞賛してはならないと思うのです。それは、厳しい状況下で「それでも人生にイエス」と言おうとしてきた人たちの歩みを否定し、空虚な形骸として扱うことになるのですから。





 



 


「親鸞さんは凄いヤツだ」

 私の尊敬する宮城先生から聞いたお話です。
 ある冬の夜のこと。宮城先生は、ご門徒のお通夜にお参りされました。免許を持たない宮城先生は、バスで自宅まで帰らなくてはなりません。夜も更けたので急いでバス停まで行くと、男の人がベンチに座って缶ビールを飲んでおられました。服装もちぐはぐ。絡まれたら嫌だなぁと思っていると、案の定「坊さん、何宗だ」と話しかけられたのだそうです。

 「真宗です」と答えると、「真宗というのは親鸞さんか」と問われました。
 「そうです」と返事をすると、「親鸞という人は凄いヤツだ」と言い出したのです。寒いし、お腹はペコペコだし、もうすぐ最終バスの時間だし。気が気じゃないけれど、袂をにぎったまま一生懸命に話してこられる。よくよく話を聞くと、その方は足の先から腐っていく壊疽という病気にかかり、入退院を繰り返していたというのです。

「会社はクビになるし、生活は荒れる。家内も逃げてしまった。娘の住所はわかっているけれども、こんな姿では会いに行けない。人生に絶望して、何度も自殺を考えた。
 そんなある日、ぶらぶらと歩いていたら講演会の看板が目に付いた。何気なく入ると、親鸞さんのことを話していた。話の内容はちんぷんかんぷんだったが、何か惹かれるものがあって、その会に続けて出席した。
 結局親鸞さんの教えはよくわからんけれど、ただ一つわかったことがある。人間の絶望は、こんなちっちゃなものじゃないと教わった。俺は人生に絶望したと思っていたが、人間の悲しみや苦しみというのは、こんな底の浅いものじゃない。親鸞さんは、もっと深い悲しみや苦しみをくぐっている。オレはいかに甘えていたかということを思い知らされた。だから、もう一度人生を生き直してみようと思っている」。

そう目を輝かせながら、「親鸞さんはすごいヤツだ」と何度も語られたのだそうです。

 耐え難い苦しみの中で、それでも人生をやり直そうと歩み出す人がおられた。その力を生み出したのは、親鸞聖人の歩みでした。そして、深い悲しみや苦しみをくぐりながらも、人生を「イエス」と肯定できた親鸞聖人を支えていたものは、阿弥陀さまのはたらきなのです。そしてそのはたらきは、私たちにも等しく届けられているのだと教えられるのです。

 お念仏を称えるとき、私に先立ち歩んでくださった方々の呼び声が聞こえてきます。すべての生きとし生ける者を肯定していく、阿弥陀の世界からの呼び声と共に。
「あなたも、この世界に出遇ってください。いや、もうすでにあなたは、この世界に包まれ支えられているのですよ。そのことに気づいてください」と。
 私たちには、すでに届けられているのです。これまでの枠組みを揺さぶるような出会いが。世間の声に抗う力が。その確かさが、今の私の拠り所となっています。■