仏教では、因果の通りを説きます。結果には、必ず因があると。
だからといって、「あなたの今の状況は、すべてあなたの責任だ」という論調には同意できません。いろんな因と縁によって、果が成り立っているわけですから、新自由主義者が言われるところの「自己責任」という言葉ですべてを切り捨てることは、あまりにも安易だと言えるでしょう。
しかし、自分の今の立場をすべて人のせいにしてしまうというのも、これまた問題です。政治家が悪い、官僚が悪い、あいつが悪いとすべて人のせいでは、自分の人生と向き合うこともできないのではないでしょうか。神頼みや占いに頼るのも、同様です。
『大無量寿経』というお経には、「身自当之、無有代者(身、みづからこれをうくるに、代わるものあることなし)」という言葉があります。私の人生は、誰も代わることが出来ないのだという意味です。つまり、どんな状況であれ「今」ここからしか始まらない。因果の道理がしめすように、これまでの過去の総決算が「今」であり、「今」をどう生きるかが未来を決めるのであれば、過去を生かすも殺すも、未来をどう開くのかも「今」の生き方が決めるのでしょう。
つまり、自分を受け容れ、今の自分と向き合うことでしか、過去を見直すことも、未来を変えることもできないのです。そこに、誰にも代わってもらえない人生、また、誰にも代わってもらう必要の無い唯一の身をいただいていることに気づくことができる。そして、弱さを含めた自分の「今」を受け容れた時、自分を支えて下さる世界と出遇うことができるのだと、教えられるのです。
仏法とは、都合の良い願いを適えてくれるものではありません。足下を照らすことで、自分の本当の人生と出遇わせて下さる教えなのです。■
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