2013(平成25)年6月




 

私たちの考え方の基本にあるのは、「役に立つ」か「役に立たない」かというものではないでしょうか。薬草も雑草も、その考え方が決めたものです。しかし、「役に立つ」ことだけが大切にされる世界では、自分が「役に立たなく」なったときには、生きてはいけません。

 

お笑い芸人であり、役者、作家、画家、そして世界に名を知らしめる映画監督北野武、いやビートたけしさんが、『騙されるな』という詩を書いておられます。これを読んで、僕は少し泣きました。

 

人は何かひとつくらい誇れるものを持っている

何でもいい、それを見つけなさい

勉強が駄目だったら、運動がある

両方駄目だったら、君には優しさがある

夢をもて、目的もて、やれば出来る

こんな言葉に騙されるな、何も無くていいんだ

人は生まれて、生きて、死ぬ

これだけでたいしたもんだ   (ビートたけし詩集『僕はバカになった』)

 

自分が「役に立つ」人間だと思えるときには、何とはない言葉なのかもしれません。しかし、自分が「役に立たない」人間だとしか思えないとき、この言葉は心に沁みてきます。生きる勇気になってきます(たけしさんの言葉って、上から下へと憐れんでいるようには聞こえないのですよね。「あんちゃん、騙されるなよ」と、同じ地平に立って投げかけられているように思えるのです)。

 

やはり人間は、「役に立つ」か「役に立たない」かということよりも、まず「生きていい」と認められることからしか、始まらないのではないでしょうか。そして、阿弥陀如来とは、この私の存在を、丸ごと受け容れ、そのままを認めて下さる仏様なのだと教えられるのです。

 





僕は馬鹿になった。―ビートたけし詩集 』
(
祥伝社黄金文庫)

 




近頃は「自尊感情」(自分自身を価値のある存在としてとらえる感情。うぬぼれやわがままとは違い、未熟さなどのマイナス要素を含めて、自分自身を受け容れることができること。)の大切さが叫ばれています。
 「自尊感情」が高い子どもは、自分だけでなく他者に対しても寛容になれ、集団行動にもうまく適応できる傾向があるそうですが、逆に低い子どもは、不安感が強く、やる気や意欲、集中力がなく、不登校やいじめ、学級崩壊の要因になったりするケースが少なくないそうです。


 その「自尊感情」が作られていくには、3歳ぐらいまでの幼少期の環境が大きく影響するといわれます。どんなに泣き叫んでも、どんな行動をしたとしても、その自分を丸ごと受け容れてくれる親の態度が、不可欠なのだそうです。


 つまり「自尊感情」が注目されるということは、子どもの存在を丸ごと受け容れ、大切だと抱きしめる親が減ってきたことの、裏返しだとも言えるのでしょう。子どもは、自分の楽しみを奪い、仕事や自己実現に対する邪魔な存在にしか思えない。「役に立つ」なら、存在する価値もあるが、そうでないなら・・・。それらはすべて、そんな親に原因があるのではないのでしょう。「役に立つ」か「立たないか」という価値観が真実だと育てられてきたからこそ、そんな親が生まれてきたのではないでしょうか。




 親鸞聖人が日本のお釈迦さまと尊敬された、聖徳太子のものとして伝えられている「世間虚仮 唯仏是真(世間は虚しく仮のものであり、ただ仏様の教えだけが真実である)」という言葉があります。私には、聖徳太子の「世間虚仮」という言葉と、たけしさんの「騙されるなよ」という言葉が重なって聞こえてくるのです。

 

世間じゃあ、「役に立つ」か「立たないか」で物事を量るけれど、騙されるなよ。

お前は生きていいんだ。生きる資格なんてないんだ。

阿弥陀様は、自分を丸ごと受け容れてれる仏様なんだ。

だから、その真実の呼び声を聞く人生を、歩んでいこうぜ。

 

「世間虚仮 唯仏是真」という言葉と出遇う度に、そう聞こえてくるのです。■