私たちの考え方の基本にあるのは、「役に立つ」か「役に立たない」かというものではないでしょうか。薬草も雑草も、その考え方が決めたものです。しかし、「役に立つ」ことだけが大切にされる世界では、自分が「役に立たなく」なったときには、生きてはいけません。
お笑い芸人であり、役者、作家、画家、そして世界に名を知らしめる映画監督北野武、いやビートたけしさんが、『騙されるな』という詩を書いておられます。これを読んで、僕は少し泣きました。
人は何かひとつくらい誇れるものを持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて、目的もて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな、何も無くていいんだ
人は生まれて、生きて、死ぬ
これだけでたいしたもんだ (ビートたけし詩集『僕はバカになった』)
自分が「役に立つ」人間だと思えるときには、何とはない言葉なのかもしれません。しかし、自分が「役に立たない」人間だとしか思えないとき、この言葉は心に沁みてきます。生きる勇気になってきます(たけしさんの言葉って、上から下へと憐れんでいるようには聞こえないのですよね。「あんちゃん、騙されるなよ」と、同じ地平に立って投げかけられているように思えるのです)。
やはり人間は、「役に立つ」か「役に立たない」かということよりも、まず「生きていい」と認められることからしか、始まらないのではないでしょうか。そして、阿弥陀如来とは、この私の存在を、丸ごと受け容れ、そのままを認めて下さる仏様なのだと教えられるのです。
|