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さて、今年は元旦から能登半島で地震が起き、たくさんの方が被災されました。そして、東日本大震災が起きて十三年目に当たる年でもあります。
ところで皆さんは、あの東日本大震災が起きた2011年の『今年一年をあらわす漢字』を覚えておられるでしょうか。この質問をすると、「何だっただろう…」と首を傾げられる方も多いですが、答えを言えば皆さん口を揃えて「あぁ、そうだった!」と言われます。
正解は、「絆」です。あの悲惨な光景を目の当たりにしながら、人間は助け合い、支えあわなくては生きていけない。何より、いつ自分が助けを求める側になるかわからない。そんな事実を抱えていることを、思い知らされたのではなかったでしょうか。だからこそ、あの年の『今年一年を表す漢字』に「絆」が選ばれた。そして何年経っても、誰もが「そうだったなぁ」と思い出す。他の年の漢字は、ほとんど覚えていないのに。それほど、大きな経験でした。
ところがしばらくすると、国会議員の方が「生産性のない人には、税金を使う必要がない」と言い出しました。もう、切り捨てが始まったのかと、驚いたことを覚えています。そして五年後の二〇一六年には、相模原市で「障害を持っている人は世の中の役に立たないから、殺した方がいい」と、十九人もの人が殺された事件がありました。事件を起こした彼は、「これでオレは、世の中の役に立った」と言い、インターネットには「お前が正しい」という書き込みが多くありました。そして後に彼は、「僕は世の中の役に立たない人間だった。だから、世の中の役に立つ側に回りたかった」と話したそうです。「役に立つか立たないか」「生産性があるかないか」が生きる資格のように語られてしまう。この事件は、今の時代を象徴的に表したものとして、強く心に残っています。
私たちは震災を通して、「人間は助け合い、支えあわなくては生きていけない。何より、いつ自分が助けを求める側になるかわからない」ということを思い知らされたはずです。だから、その年の漢字に「絆」が選ばれて、今でも記憶に刻み込まれている。にもかかわらず、しばらくすると忘れて、目先の「役に立つか立たないか」ばかりを追いかけてしまうのが、私たちなのですね。経験しなければわからないし、経験しても忘れてしまう。だからこそ、節目、節目に立ち止まり、振り返らなくてはならないのでしょう。
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