2024(令和6)年8月


 病院や福祉施設の方々はまだまだ警戒しておられるでしょうが、コロナ禍はようやく落ち着きを見せ、以前と変わらない日常生活となってきたように感じる今日この頃です。これまで、大変な思いをされた方もあるでしょう。ホッとしておられる方も、多いことだと思います。

ただ、コロナ禍を挟んで、色んなことが変わりました。特に法事やお葬式は、身近な人だけの簡素なものへと変わっています。この流れは、どんどん加速していくのでしょうか。それぞれにご事情もあることですから、簡素化がいけないということではありません。ただ簡素化が、そのまま軽々しい扱いへとつながることを、私は警戒しているのです。

「人間が一人死ぬとは、こんなに大変なことなのか」と経験することは、「人間が一人生きていたということが、どれだけ大きなことだったのか」ということを知ることでもあります。身近な人の死を通して、自らもまた死という現実を抱えながら生きていることを突き付けられ、人生そのものが問い直される。そして、そこで生まれた問いが、人生をより深く、豊かなものへと育ててくださる。そんな法事や葬儀が本来持っている大切な役割が失われていくことは、同時に人間の大切なものを失わせ、人間そのものを軽々しく扱うことになるのではないかと心配しているのです。

私たちは、頭だけで「わかっている」と思いがちです。でも、「人間が死ぬ」ということは誰もが頭ではわかっているはずなのに、近しい人の死に「まさか」と驚き、自分に死が突き付けられると「なぜ」と、慌てふためくではありませんか。頭だけでの「わかっている」ほど、いい加減なものはありません。身体を通して経験することは、とても重要なのです。

そういう意味でも、私は法事や毎年の行事といった節目があるということは、本当に有り難いことだと思うようになりました。節目があるからこそ、立ち止まり、振り返り、味わうことができる。節目がなかったら、忙しく、気忙しい時代ですから、様々なことが軽く流されてしまうような気がするのです。






 

さて、今年は元旦から能登半島で地震が起き、たくさんの方が被災されました。そして、東日本大震災が起きて十三年目に当たる年でもあります。

ところで皆さんは、あの東日本大震災が起きた2011年の『今年一年をあらわす漢字』を覚えておられるでしょうか。この質問をすると、「何だっただろう…」と首を傾げられる方も多いですが、答えを言えば皆さん口を揃えて「あぁ、そうだった!」と言われます。

正解は、「絆」です。あの悲惨な光景を目の当たりにしながら、人間は助け合い、支えあわなくては生きていけない。何より、いつ自分が助けを求める側になるかわからない。そんな事実を抱えていることを、思い知らされたのではなかったでしょうか。だからこそ、あの年の『今年一年を表す漢字』に「絆」が選ばれた。そして何年経っても、誰もが「そうだったなぁ」と思い出す。他の年の漢字は、ほとんど覚えていないのに。それほど、大きな経験でした。

ところがしばらくすると、国会議員の方が「生産性のない人には、税金を使う必要がない」と言い出しました。もう、切り捨てが始まったのかと、驚いたことを覚えています。そして五年後の二〇一六年には、相模原市で「障害を持っている人は世の中の役に立たないから、殺した方がいい」と、十九人もの人が殺された事件がありました。事件を起こした彼は、「これでオレは、世の中の役に立った」と言い、インターネットには「お前が正しい」という書き込みが多くありました。そして後に彼は、「僕は世の中の役に立たない人間だった。だから、世の中の役に立つ側に回りたかった」と話したそうです。「役に立つか立たないか」「生産性があるかないか」が生きる資格のように語られてしまう。この事件は、今の時代を象徴的に表したものとして、強く心に残っています。

私たちは震災を通して、「人間は助け合い、支えあわなくては生きていけない。何より、いつ自分が助けを求める側になるかわからない」ということを思い知らされたはずです。だから、その年の漢字に「絆」が選ばれて、今でも記憶に刻み込まれている。にもかかわらず、しばらくすると忘れて、目先の「役に立つか立たないか」ばかりを追いかけてしまうのが、私たちなのですね。経験しなければわからないし、経験しても忘れてしまう。だからこそ、節目、節目に立ち止まり、振り返らなくてはならないのでしょう。






 

そして法事も大切な、大切な節目の一つなのです。阿弥陀様の前で手を合わせ、亡き人との想い出を通しながら自分の人生を振り返る。あんなこともあった。こんなこともあった。あの時は、ああ思ったけれど、今振り返れば、こんなふうに受け止められるなぁと味わい直す。

そんな営みが、まさに人生を耕すことになるのです。「耕す」とは、下の土を掘り起こし、風に当て、陽の光にあてる。それを繰り返していく中で、土地は豊かになっていく。同じように私たちの人生も、耕し、掘り起こし、振り返っていかなければ、豊かなものにはならないのです。忙しさに流されて、「わかっている」と頭だけで理解したつもりになって、結局忘れながら生きるのであれば、それは瘦せ細った貧しい人生にしかなりません。

だからこそ、節目である法事を大切に勤めねばと思うのです。繰り返しますが、それぞれのご事情に合わせて簡素化されても構いません。でも、大切なものとしていただき、お勤めしていきましょう。

 

但し、私の尊敬する宮城顗先生は、「法事には落とし穴があるから気を付けなさい」と言われていました。簡素化したものであっても、やはり法事は準備が大変です。色々と気も使いますし、お勤めも長い。だから終わるとホッとする。「やれやれ、終わった!これで当分父ちゃんのことを考えなくて済む」と考えてしまいがちになる。ここに、落とし穴があるのだと。法事を勤めることで、逆に亡き人を遠ざけることになりかねないのですから。

節目である法事を、ただスケジュールをこなすだけにせぬよう、気をつけねばなりません。大切なことを忘れ、人生を貧しいものにしてしまわないように。■