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| 2026(令和8)年4月 | |||
今月の言葉は、『大無量寿経』の「田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ。/田なければ、また憂へて田あらんことを欲ふ。宅なければまた憂へて宅あらんことを欲ふ」という一節からのものです。田や家がない者は、欲しいと思い悩む。ところが田や家を持つ者は、持つことでまた悩みが生まれる。ひとつが得られると他のひとつが欠ける。それが私たちの生きる姿なのだと。 私たちは、欲しいものが手に入れば満たされると思い、便利さや快適さ、物質的な豊かさを求めてきました。そうして昔と比べ、はるかに恵まれた環境で生活しています。それは、かつての王侯貴族よりも贅沢なものだと、指摘する人もいるほどです。考えてみれば、私の子どもの頃(約五十年前)と比べても、驚くようなシステムやテクノロジーに囲まれています。 ところが、心が満たされているかと問われるとどうでしょう。生きづらさや息苦しさを感じながら生きる人が多い現代社会です。「昔は良かった」と、不便な時代を懐かしむ人さえいます。おまけに、進化したテクノロジーが起こすトラブルは、昔では考えられないほどの大きな影響力で、私たちに襲い掛かってきます。 まさに『大無量寿経』に説かれた姿、そのものではないですか。「人間の欲望は、そんなものでは満たされないよ」と、二千年以上も昔から示されているのにも関わらず、私たちはその声に耳を貸すこともなく、間違った方向へと進んできたのではないでしょうか。
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※ とはいえ、「ない人の苦しみ」は「ある人の苦しみ」よりも深刻だということを、忘れてはなりません。そして、手に入れることで解決する苦しみは、確実にあります。但しそれは、「状況的な苦しみ」のこと。もちろん、とても大切なことで軽視しているわけではありませんが、ここで語られるのは人間の「本質的な苦しみ」であり、それは「あれば解決する」という短絡的なものではないという指摘なのです。 | ||
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俳優の長澤まさみさんが出演されている、ビールのCMがあります。お店で仲間たちと語り合う長澤さんに、店員さんが冷えたビールを運んでくるところから始まります。 「来ました~っ!」。美味しそうに飲み干す長澤さん。思わず、呟きます。「このキンキンが、家でも飲めたらなーっ!!」。そこに「そう唸る長澤まさみに、教えたい」というナレーションが入り、家でもキンキンのビールが飲める専用タンブラー(保温保冷機能がついている飲物容器)が紹介されるというものです。 かつての王侯貴族でも体験できないほどの贅沢が、家でも味わえる。なんて凄い時代なのでしょう!ところが、このCMには別バージョンがあり、これがなかなか考えさせられるのです。 長澤さんの家に集まり、鍋を囲んでいる女性たち。「おいしそー!」という声があがります。「いいや、まだそれじゃ、うまさ半分なのよ」と語る長澤さん。「確かにアツアツだけでも美味しいよね。でも、キンキンを知ってしまったら、私にはそうは思えない。アツアツときたらキンキン。それはもう、煩悩。いや、本能!」。 キンキンのビールが、どれほどの喜びかを伝えようとするCMです。しかし同時に、キンキンの快楽を知ることで、アツアツだけでは満足できなくなる姿をも描いています。つまり、新しい快楽を知ることで、これまでの喜びが色褪せていく。このCMは、皮肉にもそんな一面を伝えているのです。 考えてみれば、便利さを知ることで、私たちは不便さに耐えられなくなってはいないでしょうか。効率的な世の中になるほど、待つことができなくなる。快適さを手に入れることで、ちょっとした不快が許せなくなり、大らかさや寛容さを失っていく。これまで何とも思わなかったことにイライラし、ストレスばかりが増える。それが私たちの本能であり、まさに煩悩に苦しめられる状況に外なりません。 |
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