十一、本堂建立当時の重要記録発見

向拝上、四間半の化粧桁取替えの際、百五十年ぶりに




     
桝組の裏に、歌が書かれていた。


  
 材木は、当時毛利藩の直領であった幸島のたぶの木を無償で払い下げてもらったほか、松材は広く三隅から美祢郡にかけて適材を求めて伐りだしたようで、これには庄屋の勝屋治郎左衛門の尽力が大きかったという。棟梁は、彫刻にすぐれた人で、大工技術は非常に高いと評価されている。1980(昭和55)年の屋根葺き替えをした時、思いがけないことから、向拝の飾桝組の裏に書きつけられた貴重な記録が百五十年ぶりに発見された。


 
 



「花にきて姿は美し秋の蝶」
阿川大工野村和太左ヱ門繁信彫刻
七十三翁 雅名 和風



 

「新かまの庵にまるねやひじ枕」




「この水の 流れに浮かぶ」
「末の世に 告げなばおかん野波瀬なる 堂古山に残す言の葉」

        


 

これより於福 長念寺行きにつき
「山里は冬ぞ淋しさまさりける  昨日も今日も来る人はなし」



 








十二、わがむらの昔ばなし 極楽寺の本堂と竜