お取越しの季節です 

 


 
「親鸞聖人の魅力とは」 
 
 



「お取越し」の季節です。「お取越し」とは、親鸞聖人のご法事「報恩講」をご命日よりも取越して(早めて)、各家々で勤めるという真宗門徒にとって大切な伝統行事です。ところが最近、都会の方では自分の親の法事も一周忌か三回忌までしか勤めないという人が増えているようですから、「どうして親戚でもない人の法事を、勤めなくてはならないのか」と思われるのかもしれません。しかし、親鸞聖人が亡くなられてから七百五十年の歴史を通して、伝えなくてはならない大切なことがあるのです。その重みを深く受け止めることは、こんな時代だからこそ本当に大切なことだと思います。

 

 では、親鸞聖人という方は、一体どんな方だったのでしょう。多くの人々の心をつかむ親鸞聖人の魅力とは、一体何なのでしょうか。それを私のような者が語るなどというのは、大変おこがましいことだとは思いますが、あえて一言で言うとするならば、「人間というものを、深く見つめるまなざし」と、「そのまなざしの温かさ」にあるのではないかと思うのです。

 聖人ご在世の当時、人々は奪い合い、傷つけ合い、時には殺しながらしか生きていけないような時代でした。しかし、親鸞聖人はそんな人々を「なんと愚かで、なんと残酷な奴らなのか」などと見下すようなことは、決してされませんでした。「人間とは、なんと愚かな、なんと残酷な生き物なのか。そして、私自身もその人間なのだ。」と、自分の姿をそこに見出し、共に救われていく道を求めていかれたのです。

 

 私の尊敬する映画監督今村昌平さんは、若かりし頃小津安二郎監督の『東京物語』に助監督として携わりました。しかし、小津監督の演出に疑問をいだき、当時エリート街道であった小津組から外れ、日活に移籍して監督デビュー。社会の片隅や、底辺に生きる人々の姿を描く作品を作り続けます。その今村監督が、基地の町・横須賀に生きる人々を描く監督第五作『豚と軍艦』(主演・長門裕之)の脚本を書いていた時のエピソードにこのようなものがあります。

 

当時まだお元気だった 小津安二郎師と(脚本家の)野田高梧師こぞって
「汝等何を好んでウジ虫ばかり画く?」

といわれた。
その時決定。
「俺は死ぬまでウジ虫ばかり描く」

 

社会の底辺に生きる人々をウジ虫として見下すのではなく、共に生きる者として向き合う今村監督の姿勢は、親鸞聖人の生き方に通じるものを感じます。

また今村監督は、自ら設立した日本映画学校で、こんなことを言われています。

 

「私の作りました日本映画学校の理念というものがありまして、『人間はかくも汚濁にまみれているものか。人間はかくもピュアなるものか。なんとうさんくさいものか。なんとすけべぇなものか。』ということを提示しているわけですね。これは、裏の裏まで人間というものをよく見つめてもらいたいという私の意見なんです。皆さんは、これを拳拳服膺して、なるべく人間を見つめるという動作を怠っては困る。」

 

人間という存在を興味深く見つめ、汚濁にまみれた部分からも決して目を逸らさない。それは本当の人間好きにしかできない行為であり、温かな優しさを感じます。だからこそ、今村監督の作品は重厚でありながらエネルギッシュだと評価されるのでしょう。

 

人間が取り換え可能な道具のように、単なる数字のようにしか扱われないような、薄っぺらなものの見方がどんどん広がっている現代社会において、このような「人間というものを、深く見つめるまなざし」と「そのまなざしの温かさ」こそが、本当に求められているのではないでしょうか。私たちの先輩方は、そんな深さと温かさを親鸞聖人の生き方に感じ、その大切さを伝えようとされているように思うのです。■