寒苦鳥

 2015(平成27)年





「お取越し」とは、真宗寺院において最も大切な行事である親鸞聖人のご法事「報恩講」を、ご命日よりも取越して(早めて)、各家々で勤めるという門徒にとって大切な伝統行事です。ところが近頃は、「どうして親戚でもない人の法事を、勤めなくてはならないのか!」と怒られそうな時代になりました。しかし、親鸞聖人が亡くなられてから約七百五十年。長い歴史を通して「伝えなくてはならない心がある」と、私たちのご先祖や先輩方が「お取越し」という行事を、私たちのところにまで届けて下さっているのです。


 さて、気がつけば十一月を迎え、今年も終わろうとしています。毎年、「今年こそ、あれをしよう」「これをしよう」と目標を立てるのですが、一年通して続くことがほとんどありません。特に腰痛持ちですから、「エアロバイクをしよう!」「TRFのダンスエクササイズをしよう!」と、運動不足解消とダイエットに努めるのですが、続くのは少しの間だけ。日々の忙しさに流されて、いや忙しさを理由にして不健康な生活を続けています。

 自堕落な営みを繰り返している中で、先日耳の痛い話を聞きました。これは、昔からお説教でよくお話されるのだそうですが、インドの雪山に寒苦鳥という鳥が住んでいるというのです。この山は、夜の寒さがすざましく草木も凍るほどですが、昼になると陽の光が照らし暖かくなります。寒苦鳥は、 夜になると「ああ寒い、ああ寒い」と鳴き、毎晩「夜が明けたらこの寒さに耐えられるよう巣を作ろう」と思うのですが、昼になって暖かくなるとすっかり忘れてしまい、とうとう巣を作ることなく死んでしまうのだとか。
 まさしく、私自身の有り様だと思わされたのですが、このお話が伝えるのは運動不足やダイエットだけではなく、私の生き方そのもの、どこへ向かって生きているのか、何を大切にして、何を粗末にしながら生きているのか、そのことを深く考えない生き方を厳しく指摘しているように思えたのです。人生において、健康は大切です。お金も重要だし、楽しみも欠かせません。しかし、人間として「どう生きるべきか」「どこに向かって生きるのか」ということも、とても大切なことです。健康、お金、楽しみだけの人生ならば、それを失った時に「病気になったら、ダメだ」「歳をとったら、つまらない」「お金がなかったら…」と、自分の人生を貶めることにもなりかねないのですから。


 私たちは、大切な人の病気や死、苦しみ、悩みを通して様々なことを考えさせられます。しかし近頃は、誤魔化したり、忘れさせたりする道具や言い訳が氾濫していますから、真剣に向き合うこともせず、面白おかしく人生を過ごせばいいという傾向が、広がってはいないでしょうか。TVやゲーム、ネットやスマホで、いくらでも暇をつぶすことができますが、人生そのものが暇つぶしに終わるようであれば、これほど虚しいことはありません。
 私たちの先輩方は、親鸞聖人の生き様を通して「どう生きるべきか」「どこに向かって生きるのか」を深く見つめ、聖人の後ろ姿に導かれ、苦しみや悲しみの人生を心豊かに歩まれました。

 しかしその時は真剣でも、またすぐに忘れがちである自分の生き方をも見つめ、お寺を建て、お仏壇や様々な行事を用意し、常に仏法のそばにこの身を置ける環境を用意されたのです。ただ、お葬式や法事、お盆は、亡き人やご先祖を中心にしがちになります。だからこそ、この私の生き様を中心に深く味わう場として、この「お取越し」という行事が大切にされたのでしょう。
 こんな時代だからこそ「お取越し」の存在は、ますます重要になっていると思うのです。■