2021(令和3)年『築地本願寺新報』7月号「法話」

 昨年に引き続き、東京の築地本願寺から発行される『築地本願寺新報』に、法話を寄稿しました。昨年寄稿した原稿はこちらからどうぞ。



 







 日本ラグビーフットボール選手会が立ち上げた、「よわいはつよいプロジェクト」という活動があります。「よわい」は「つよい」ってどういうこと?と首を傾げたくなるような名称ですが、どんな活動なのでしょうか。

ラグビー選手はムキムキの筋肉のヨロイをまとう、強さの象徴のような存在です。トッププロ選手のタックルは、軽トラックの衝突と同じ威力といわれますから、毎試合軽トラにぶつかりに行くようなもの。さぞや心身共に強く、勇気ある人かと思いきや、実はそうでもないのだとか。周囲から「弱音を吐くな」「自分で乗り越えろ」と言われ、また自身にも言い聞かせていく中で、追い込まれ、心を病む人が多いようです。そんな選手をサポートする為に「不安な気持ちになったら誰かに伝えてみよう」「相談を受けたら相手を否定せず思いを聴いていこう」という、心の健康を考え、ケアする活動が立ち上げられました。とはいえ日本は「弱さを見せるのは恥」という文化が根強いですから、助けを呼ぶには勇気がいる。この弱さを受け入れる勇気こそ、本当の強さだと伝えたい。これが「よわいはつよいプロジェクト」なのです。そして他競技のアスリートや、コロナ禍で不安を抱えている日本全体にも広げようと取り組まれています。





 確かに、弱さと向き合うには勇気が必要です。誰しも、情けない自分から目を背けたい。しかも近頃は「自己責任」だと突き放され、自立という名の「孤立」が広がっている時代です。「迷惑をかける者、役に立たない者は生きる資格がない」という空気も生まれ、ますます弱みは見せられません。強さを装うヨロイを身にまとい、失敗を恐れ、傷つくことに怯えている。誰かを見下し、叩くことでしか、強い側にいる安心感を得られない。ところが守るためのヨロイはいつしか助けを呼ぶことを許さない檻へと変わり、自らを追い込んでいくのです。本当は、誰もが心の底で「虚勢を張るのは疲れた」「弱さをさらけ出せる場所が欲しい」と思っているのではないでしょうか。


 実はお寺とは、安心してヨロイを外せる場所なのです。なぜなら阿弥陀如来という仏様は、私を決して否定しないからです。親鸞聖人のお言葉に「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして」(『正像末和讃』)とあるように、そもそも阿弥陀様とは苦しみ悩む者を救いたいと立ち上られた方でした。弱くても愚かでも捨てないと誓われた、阿弥陀様の願いがかけられている。このままの私が、かけがえのない存在だと認められている。だからこそ、安心して弱さや愚かさと向き合える勇気が、素直に助けを呼べる強さが与えられる。閉じていた心が開かれることで、新たな気づきや出遇いが生まれてくる。まさにお寺とは、阿弥陀様を拠り所に、人生を確かなものにされた方々の歴史が刻まれた場所なのです。


 以前、法事で法話をした後、長年お寺に参り仏法を聞いてこられたお婆さんから「今日は良い後悔をさせていただきました」と言われ、驚いたことがありました。私たちは後悔しない人生を求めているはずなのに、この方は未熟な私の法話を深く受け止め、真摯に自分を見つめている。弱さと向き合い、新たな気づきを得て「良い後悔ができた」と語られる。阿弥陀様を拠り所とした揺るぎない安心感が生む、毅然とした態度としなやかな強さに圧倒されたのです。それは、「よわいはつよい」という姿そのものでした。
 弱さを受け入れる勇気こそ、今の時代に必要なものだと思います。ただ、それを自分で手に入れることは難しい。しかしその勇気は、既に阿弥陀様から与えられているのです。そう気づかれた先輩方の確かな歩みに導かれ、私も育てられています。