2023(令和5)年3月 『大乗』「親鸞聖人いまさずは』

 西本願寺より発行される『大乗』の親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要記念エッセイ「親鸞聖人いまさずは」に、掲載されたものです。昨年末に続いての原稿依頼。こんなことはもうないでしょうから、楽しんで書きました。




 

 突然ですが、問題です。昨年生まれた男の子の名前に、一番多く使われた漢字は何でしょう。答えは「翔」です。鳥が羽を広げ、空を飛ぶ様子を表すこの漢字。空を高く飛ぶように自由に生きて欲しいと願う、親の思いが感じられます。ちなみにここ三十年、必ず上位に入る漢字だとか。大谷翔平、櫻井翔…、有名人にもよく見かけます。

 ここで、第二問です。スキージャンプ競技の選手は、驚くほど高く遠くへ飛び上ります。なぜ、あんなに飛ぶことができるのでしょうか。もちろん飛ぶ技術は必要です。でもそれ以上に重要なのは、落ちた時どうするか、どう転ぶかという技術でしょう。落ち方を知らなければ、飛ぶ練習さえできません。スキーを始める時にまず学ぶのは転び方ですし、柔道も受け身から。落ちたら終わりなら、高く飛ぶことはできないのです。安心して失敗できるから、安心して飛ぶことができる。ところが、「高く飛んで欲しい」と願う親が多いのにも関わらず、若い人の多くが失敗を恐れているようなのです。

 それでは、第三問。若い人が失敗を恐れるのは、なぜでしょう。答えは簡単、大人が失敗することを恐れ、転んでもまた立ち上る姿を見せていないからです。失敗すると叩かれる。イメージが固定化され、いつまでも見下される。SNSやインターネットがそこに拍車をかける。だから弱みを見せられない。失敗を認めることもできない。そんな傾向の強い社会になっているから、大人たちも失敗を恐れている。私自身、この空気をヒシヒシと感じています。

 しかし、失敗を通してこそ知らされることがあるのです。自分の小ささ、世界の広さへの気づき。それまでの頑なな価値観が壊され、視界が開ける感動。何より、受け止め支えてくださる世界があることは、落ちてみないとわかりません。

 「落ちて着くから落ち着く≠フだ」と喝破した先達がありました。落ちて、受け止められる世界と出遇い、地に足が着く。落ち着いて、人生を歩むことができる。そこから飛び立つことも、深めることもできる。そんな確かな生き様を示す人がいれば、若い人たちも、いや私たちも安心して失敗し、また立ち上ることができるのではないでしょうか。

 私にとって親鸞聖人とは、そんな後ろ姿を示してくださる方でした。必ず救うと誓われた阿弥陀如来の本願に、しっかりと足が着くからこそ、自分の弱さや愚かさと向き合える。人生を、確かな安心感の中に歩むことができる。聖人の生き様が、私の人生に落ち着きを与えてくださるのです。

 私は最近、若い人たちに会うと「若いうちに失敗して、転び方、立ち上り方を練習しておいた方がいいよ。歳をとって初めて転ぶと、ダメージが大きいから。僕はいっぱい失敗してきたおかげで、対応能力が上ったし、学びも多いよ」と話しています。「そんなこと初めて聞いた」といった顔をした後、みんな嬉しそうに笑ってくれるのです。