住職の雑記や、いろんなところに寄稿した文章を掲載しています。時勢に噛みついたりと、好き勝手に書き散らしたものも…。読み返してみると、結構ほえますね。どうぞ、御容赦ください。 











【〝ほえる〟度を、あらわす指数です。】

  
 

 

 

 

  

 







   
    「電子マネーへの違和感」
 《2023年6月》  
 またまた、西本願寺より発行される『本願寺新報』の「みんなの法話」欄に、掲載されました。「私のような者が、何度も書かせていただいて申し訳ない」と思いながらも、図々しく書いています。ホント、申し訳ありません…。 
  










   
   知らないと知るからこそ
《2023年4月》  
 東京の築地本願寺から発行される『築地本願寺新報』に、法話を寄稿しました。なんと、寄稿依頼が続けて四件目!もう、このようなことはないでしょうが、良い経験をさせていただきました。もちろん、大変さも含めて…。   
  










  
   彼岸と向き合うからこそ
《2023年3月》 
 西本願寺より発行される『本願寺新報』の「みんなの法話」欄に、掲載されたものです。寄稿依頼が、なんと続けて三件目!確変モードに突入したようで、ビックリです。  
 










  
  親鸞聖人いまさずは 落ちて着くから
 《2023年3月》
 西本願寺より発行される『大乗』の親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要記念エッセイ「親鸞聖人いまさずは」に、掲載されたものです。昨年末に続いての原稿依頼。こんなことはもうないでしょうから、楽しんで書きました。  
 










 
   愚かであるからこそ~「正義」って怖ろしい…
《2022年12月》 
 西本願寺より発行される『本願寺新報』の「みんなの法話」欄に、掲載されたものです。『極楽寺だより』の使い回しのような文章ですが、反響がかなりありました。やはり、これくらいの分量の方が読みやすいからなのでしょうか。でも、短くまとめるのは、難しいのです…。  
 










   本の紹介~『同志少女よ敵を撃て』『戦争は女の顔をしていない』

《2021年7月》 
  寺報『極楽寺だより』に掲載した、本の紹介をこちらにも。
 










  「よわい」は「つよい」 
 《2021年7月》  
 昨年に引き続き、東京の築地本願寺から発行される『築地本願寺新報』に、法話を寄稿しました。
 










 薫る風に吹かれて
《2020年5月》 
 東京の築地本願寺から発行される『築地本願寺新報』に、法話を寄稿しました。テーマは、〝季節〟です。 
 










 人間であるからこそ~現場から見えてきたもの~  
《2018年3月》 
 本願寺から出版される『伝道』という冊子に寄稿しました。〝「そんな時代じゃない」を考える〟というテーマで依頼されたものです。おびただしい情報の中で、「合理化」や「簡素化」の〝美名〟のもと、「(今は昔と違って)そんな時代じゃない」の一言で、多くの物事が切り捨てられていく現代社会。しかし、切り捨てていいものと、切り捨ててはならないものを、見定めなくてはならないのではないかというのが趣旨のようです。簡素化の波の中で、葬儀、法事に取り組む現場から見えてきたものを書いています。
 










 忖度ということ~今年一年を振り返って 
《2017年12月》  
 ほえるぜ版「今年一年を振り返って」です。以前より、とても大切な問題が込められていると思っていた「忖度」という言葉が、流行語大賞に選ばれ一般的にもなりました。今だからこそこそ、この言葉の意味を、きちんと考えなくてはなりません。 
 










人間をまなぶ~地方創生に不可欠なこと 
 《2017年5月》
 ほえました!MAXほえています!地方創生とは、単なる金儲けなのか?地方創生大臣の発言に憤りを感じつつ、「郷土を愛する」とはどういうことなのかを、地方に生きる者の実感として考えました。
 











事務的作業に安住するな~研修会に参加して② 
《2017年2月》 
 引き続き、ほえてしまいました。「ほえ」の確変に入ったのか。この勢いは続くのか? 
 











いじめ対策に、まず必要なこと~研修会に参加して① 
 《2017年2月》
 久しぶりにほえたので、ほえグセがついてしまいました。 
  











 許されて生きている~映画『この世界の片隅に』評
《2017年2月》 
「最近、ほえてませんね」という指摘を受けて、久しぶりにほえてみました。
映画『この世界の片隅に』を観て感動!まさに、名作!傑作です!今の時代にこそ必要なものが、ここにある!と思って書きました。 
 











             民主主義って何だ
《2016年7月》 
 「これでいいのか」と思ってしまうほどに、盛り上がらなかった参議院選挙。メディアは現在、都知事選を賑やかに報道していますが、どうも地に足がついていないような、ただ面白おかしく、視聴率がとれれば良いといった風潮に感じられます。そんな中で、「民主主義」って一体何なのだろうかと、常々考えていたことをほえてみました。 
 











       ほえるぜ版・今年一年を振り返って 
《2015年12月》 
 『オシエノカケラ』のコーナーで「今年一年を振り返って」を書きましたが、『ほえるぜ住職!』でも書いてしまいました。今年は『花燃ゆ』効果で、このHPを見て下さる方も増えたようで、「これからも、ほえて下さい」とのお声をかけていただくことも。でも、調子に乗ってほえてると、後でしっぺ返しが来るのではないかと怖いのですが・・・。 
 











 反対の 意見を悪と 決め付ける
                     ~安倍政権支持率上昇のための提言
 《2015年11月》  
 久しぶりの書き下ろしで、ほえる度数MAX。体制派・反体制派、どちらの立場であったとしても、やってはいけないこと、言ってはならないことがあるはずです。 
  











「慚愧」がひらく世界 
《2015年11月》  
 西本願寺より発行される月刊誌『大乗』の「みほとけとともに」コーナー第四弾です。今回で、とりあえず終了。担当の油小路さん、ご指導ありがとうございました。自分の文章にあわせて、イラストを描き下ろしていただくことも、初めて。とても良い経験をさせていただきました。 
 











 「悲しみ」がひらく世界
 《2015年10月》
 西本願寺より発行される月刊誌『大乗』の「みほとけとともに」コーナー第三弾です。後輩から、大乗に掲載されている私の「写真の顔が怖い」という指摘を受けました。私が見るに、そんなに怖いとは思わないのですが、日頃、いろんな所でほえているからなのか、噛みついているからなのか。私の生き様がそう見せたのは、間違いないところです。  
 











 
「ともに凡夫」がひらく世界
《2015年9月》  
 西本願寺より発行される月刊誌『大乗』の「みほとけとともに」コーナー第二弾です。 
 











  弱さがひらく世界
《2015年8月》 
 西本願寺より発行される月刊誌『大乗』の「みほとけとともに」に、住職の拙文が掲載されました。何と、これから四回にわたって書けとのこと。『大乗』に掲載されるだけに「だいじょうぶ」なのでしょうか(会心の駄洒落ですが、好みがありますので、スルーされたい方はしていただいて結構です)。  
 











 ドラえもんがいたらなぁ
《2015年7月》  
 言葉が荒れています。しかも、責任があり影響力もある立場の方々の。とても成熟した大人の態度とは思えません。「あんな大人になりたい」と、次の世代があこがれるような魅力ある大人にならなければ!「あんな大人でいいんだ」ということにならぬように!という責任感をヒシヒシと感じる今日この頃です。  
 











 「大義名分」でいたぶる 
《2015年7月》  
 近頃、責任ある立場になったことで、いろんなことを考えさせられています。そんな中で、とても大切なことを教えて下さる言葉に出遇いました。自分がそうあってはならないと、自戒を込めて書きました。 
 











 ことばはこころ
《2015年4月》
 西本願寺より発行される『本願寺新報』の「みんなの法話」欄に、住職の拙文が掲載されました。懐かしい人から連絡もあったりして、有り難いご縁となりました。担当の脇くん、ありがとう。これからもよろしく。でも、ムチャ振りはやめてね。 
 











            自分で決めない 
《2015年4月》
 PTA特集の第9弾は、入学式の会長挨拶です。二年間勤めた会長の挨拶も、これでひとまず終了となります。最後なので少し長くなりましたが、あえて行かせてもらいました。ほえさせて、いただきました。 
 











  弱さを受け容れるからこそ
《2015年3月》
 PTA特集の第8弾は、卒業式の会長挨拶です(今年で二度目)。スポ少の時からよく知っている、息子のチームメイトも、立派に成長して卒業します。先生方がよく鍛えて下さり、また彼ら彼女らもよく応えてきたからこそだと思います。近頃は、弱さを受け容れることと、自虐の違いがわからない人が増えました。このままでは、素直に「ごめんなさい」が言えない子どもが育ちます。そんな危機感を込めて話しました。  
 











 
  ぶっちゃけた話
《2015年3月》
 私の母校であり、子どもたちも通っている三隅中学校では、昔の元服の年齢にあたる中学2年生が、志を立てる『立志式』という行事があります。暗い講堂で、蝋燭の灯りを掲げながら一人ひとりが自分の立てた志を述べる厳粛な式。私も中学生の時に経験しました。PTA特集第七弾は、立志式にあたり学校の広報紙に書いた一文を掲載します。 
 











  クラブ活動に取り組むにあたって 
 《2014年9月》
 PTA特集第6弾です。うちの中学校の運動会には、会長挨拶が二回あります。ひとつは、一番最後の会長挨拶。もうひとつは、お昼前。部活動行進の際の、体育後援会長としての挨拶です。そのうちの、後援会長としての挨拶を掲載します。  
 











 好きなことよりも、大切なことがある
《2014年9月》 
 昨年に引き続き、今年も中学校のPTA会長(うちの中学校では、親師会会長といいます)を務めることになりました。PTA特集の第5弾は、一学期末に発行される広報紙の会長挨拶です。一年間会長をやってみて、やっぱりこれは言わねばならぬと再確認したことです。  
 











 痛みがあるからこそ   
  《2014年4月》
 山口新聞『東流西流』の最終回、第八回目です。今回も、いろんな方から「読んでますよ」と声をかけていただきました。有り難うございます。山口新聞の江口さん、本当にお世話になりました。  
 











 ともに凡夫
《2014年4月》
 山口新聞『東流西流』の第七回目です。今の世の世知辛さは、人間の事実を忘れたところから生まれているような気がしています。  
 











  いかなるふるまいをもすべし
《2014年4月》
 山口新聞『東流西流』の第六回目です。この事件の衝撃と、そこから知らされたことの大切さが、今でも私に問いかけてきます。 
 











 受け身を身につけよう
《2014年4月 中学校入学式挨拶》
 アンテナは張られているか
《2014年3月 中学校卒業式挨拶》 
 各学校で入学式が行われ、私もPTA会長として挨拶をさせていただきました。ということで、PTA特集の第三弾として卒業式での挨拶を、第四弾として入学式の挨拶を掲載します。講堂の壇上は、お寺と違った緊張感があります。
 











 自由って一体何だ
《2014年4月》 
 山口新聞『東流西流』の第五回目です。新自由主義が主流の現代社会において、「自由」という言葉の意味を今一度考える必要があるのではと、常々思っています。 
 











 便利さの裏に
《2014年3月》 
 山口新聞『東流西流』の第四回目です。便利さには、当然デメリットもあります。誰もが、無関心、無責任ではいられないのです。 
 











 
  一目の効果
《2014年3月》
 山口新聞『東流西流』の第三回目です。ギスギスした世の中は、自分が生きづらくなるだけです。
 











 子どもたちのために
 《2014年3月》
 山口新聞『東流西流』の第二回目です。「これを言わねば、私がPTA会長になった意味がない」という思いで、書かせていただきました。 
 











 
 やりたくなくても
 《2014年3月》
 山口新聞に掲載されている、一般ピープルが執筆陣のコラム『東流西流』。2年半ぶりに担当することになりました。その第一回目です。今回は、PTA会長の立場から書いていこうと思っています。でも、結局は使いまわした文章になりそうですが。
 前回は、五木寛之氏の『親鸞~激動篇』のすぐ下に掲載されましたが、今回は『完結篇』の下になりました。それがまた、ちょっぴりうれしいのです。
 











 便利になったことで
 《2013年8月》
 PTA特集の第二弾です。先日、中学校で行われました「LINEのトラブルについての情報教育研修会」でさせていただいた、会長挨拶を掲載しました。本当はもっとほえたいところなのですが、あまり角が立ってもと思い、あえて抑えております。  
 











 大地に樹っているか
 《2013年8月》
 8月2日、日本テレビ系の「金曜ロードSHOW!」で放送された宮崎駿監督の名作アニメ『天空の城ラピュタ』。14回目の放送にもかかわらず、18.5%の高視聴率だったとか。この文章は、2007年に再放送された際に、ミクシィの日記に書いたものです。
  恵みをいただくという謙虚さを忘れ、自然を利用するための資源としてしか見ることができない私たちの傲慢さに、警鐘を鳴らす作品として改めて受け止めねばならないと感じています。シータの叫びが、「どんなに株価が上っても、巨大なエネルギーを生む原発を作っても、土から離れては生きられないのよ!」と聞こえるのは、私だけでしょうか。 
 











 やりたくなくても
《2013年6月》 
 久しぶりの、本当に久しぶりの新作です。保護司やPTAを始め、地域の役職を引きうけることが多くなり、多忙の毎日を送っておりますが、そんな中で思ったことをほえました!中学校PTAの広報紙に「会長挨拶」として書いた文章を、大幅に直して掲載しています。ごくごく当たり前のことなのですが、あえて言わなくてはならない時代になったことに、寂しい思いがします。 
 











       「君」とは誰だ 
《2007年5月》 
 いよいよ総選挙が始まります。「日本維新の会」と合流した石原慎太郎氏ですが、彼は一体何を目指しているのでしょうか。私はとっても心配なのです。以前、石原氏が製作総指揮・脚本を担当した映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』で感じたものをmixiの日記に書いたのですが、今だからこそほえ直してみました。お叱りも覚悟の上。今までで最高の「ほえる度数」5本です。こんな私を許してね。 
 











 心はムケているか  
《2007年5月》 
 私は子どもの頃からコンプレックスが強かったものですから、なかなか自分ときちんと向き合うことができませんでした。挫折を経験した中で、また浄土真宗と本当の意味で出遇えたことで、自分ともきちんと出遇うことができたように思えます。ですから、コンプレックスの裏返しのような「プライド」や「誇り」の主張を見ていると、かつての自分を見ているようで切なくて(いえ、どこかの政治家の先生というわけではないのです…)。ということで、以前mixiの日記に書いたものを、こちらに掲載してみました。
 今回は、下ネタが多いので「ほえる」度数が四本つきました。でも、もしかしたら一番イキイキとした表現になっているのかもしれませんね。 
 











  マンガ評いくつか・・・
 《2007年10月》
 今年の夏は、例年よりも慌ただしいものとなりました。お盆が過ぎても、ちっとものんびりできません。いろんな役職がまわってきて、会議や調整に追われていることも大きな理由の一つあるのですが、どうやら気忙しさの本当の正体は、自分の心にあるようです。もう少し、時間の使い方や心の方向を考えてもいいのかもしれません。ということで今回は、以前mixiの日記に書いた、マンガ評を掲載いたします。最近は本を読んでも、「読み終えた!」という達成感ばかりで、本を「楽しめた!」という気にはなかなかなりません。それがマンガであってもです。心貧しい生き方をしているなぁとガッカリ。こんな文章が書けるくらいの余裕を、心に持ちたいものです。 
 











            状況の仮設
 《2006年2月》
 映画『戦国自衛隊』がテレビと映画でリメイクされたことについて、mixiの日記に書いたものです。初めてこの映画を見たときから思っていた設定についての疑問を、自分なりに整理したものです。ある前提(状況)の中に身を置いた時、どのように世界の見え方が変わり、生き方が変わるのか。非常に興味深い視点だと思ったのですが・・・。
 社会学者の橋詰大三郎さんが、「宗教とは、行動において、それ以上の根拠をもたない前提を置くことである」と定義しておられますから、実はこの視点、宗教的にも非常に興味深いものだと思うのです。「死んだら終わりだ」とか、「世の中、弱肉強食だ」「所詮、世の中金だよね」という前提を仮設するよりも、「すべての生きとし生けるものは、阿弥陀如来から願いをかけられている」「この人生は、浄土へ往き、生れる人生である」という前提を仮設するほうが(これを「仮設」というと、怒られるのかもしれませんが)、人生に対して深く豊かに、向き合えるのではないかと思うのです。 
 











 〝におい〟を取り戻せ
 《2005年11月》
 以前、mixiの日記に書いた文章です。うろ覚えで恐縮なのですが、ちょうど一年前の東日本大震災について、政治学者 姜尚中さんが、「〝二万人の死者〟と、〝二万一人〟の死者では、全く違う」と発言されたとか。葬儀という場に携わる者の一人として、本当にそう思います。ところが一方では、数字だけで判断してしまう自分もいるのですよね。数字の向こうにある、人間の営み、温もり、におい。そういうものを、頭だけではなく、身体を通して受け止めることが、本当に大切だと痛感しているこの頃です。 
 











  細木和子に〝ずばり〟?!
《2005年11月》 
 以前、mixiの日記に書いた文章です。カリスマへの警戒についてはいつも思うところがあるのですが、最近、劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲『ガリレイの生涯』に、こんな場面があると聞きました。異端裁判に負けて地動説を撤回したガリレオに、弟子が「英雄のいない国は不幸だ」と叫ぶ。するとガリレオはこう答える。「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」。これにはシビレました。しかし考えてみれば、今でも同じようなことを繰り返しているのですね。 
 











             県庁の星
 《2011年9月》
 6年も前にmixiの日記に書いたものですが、状況はますます悪化し、人の顔、感情、温もりよりも、数字が優先される世の中になってしまいました。東日本大震災では、300枚の毛布が差し入れられたのに、500人いるから公平に行き渡らないからと、一枚も配られなかった避難所もあったとか。確かに震災時においては、配る側に余裕がない状況も考慮すべきでしょうが、場所を変えれば日常的に見られる光景です。マスコミをはじめとした安易な責任追及が、無責任で硬直化した世の中を生み出してしまったのかもしれません。義援金も届かないはずです。改めてこの本を読み返すと、新鮮に感じられました。 
 











 幅のない時代
《2011年8月》 
 山口新聞『東流西流』に掲載された最終回です。有り難い経験でした。山口新聞の江口さん、本当に有難う。  
 











 年をとったら
 《2011年8月》
 山口新聞『東流西流』に掲載された第七回目です。 
 











 鏡と出遇う 
《2011年8月》 
 山口新聞『東流西流』に掲載された第六回目です。早いものです。残り、あと二回となりました。  
 











  大地の広がり
《2011年8月》
  山口新聞『東流西流』に掲載された第五回目です。はい。今回も、使いまわしています。
 











 地獄のリアリティ
 《2011年7月》
 山口新聞『東流西流』に掲載された第四回目ですが、「オシエノカケラ」を使いまわしているので、そちらにリンクを張っています。 
 











 自然がない
《2011年7月》
 山口新聞『東流西流』に掲載された第三回目です。今回は、使いまわした文章になってしまいました(いつものことなのですが…)。
 











 照らされる 
《2011年7月》 
 山口新聞『東流西流』に掲載された第二回目です。一回目が掲載された後に、いろんなところから思わぬ反響があり、驚いています。 
 











 「ありがとう」の反対
《2011年7月》 
 山口新聞に掲載されている、一般ピープルが執筆陣のコラム『東流西流』。2011年7~8月を担当することになりました。その第一回目。五木寛之氏の『親鸞~激動篇』のすぐ下に掲載されていることが、ちょっぴりうれしかったのです。 
 











 今〝ここ〟から 
《2011年4月》
 「福岡教区門徒推進員連絡協議会」会報紙『めざめ』に掲載されたもの。2010年8月の門徒推進員全員研修会に出講したときの内容を、かなり簡単にまとめたものです。 
 











 未曾有の災害のときに
《2011年3月》 
 極楽寺だよりに掲載しようと書きましたが、発行時期を考えるとタイムリーとはいえなかったので、ボツにしたものです。 
 











 〝怪物〟にはしない 
《2007年1月》 
 『方法としての親鸞/仏教』(「親鸞」研究会編 永田文昌堂刊)出版に際し、寄稿依頼されて書いたものです。
 











 私的な記憶 ~ボクの〝反日デモ〟への向き合い方~
《2005年6月》 
 「戦争への道に反対する真宗者の会」会報『シャンティ』に掲載されたものです。 
 











  コミュニケーションとは~面倒臭さのススメ~
《2005年6月》 
 「戦争への道に反対する真宗者の会」会報『シャンティ』に掲載されたものです。  
 











 「できること」と「大切なこと」
《2005年2月》 
 「戦争への道に反対する真宗者の会」会報『シャンティ』に掲載されたものです。